少年団からヴェルディJrへ

改めてnoteでの発信の意図

今後も継続していくと思いますので、今回改めてnoteを通じた発信で伝えたいことを説明します。

あくまで一例として、僕がどのような過程を経てプロになったのか、どのような意思決定をしてきたか、それぞれのステージや境遇の中でどんな学びがあったかというような点について知ってもらうことで、少しでもサッカー選手を目指す世代の手助けになればという思いがあります。

プロを目指すということは覚悟が必要です。情報が足りないから決められないという理由で機会喪失してしまうのはもったいないという思いもあり、微力ながらできる限りの発信をしています。また、このような発信が少しでも読んでくれる方やその周りの方々のキャリアや人生を考えるきっかけになれば幸いです。

地元の少年団での成長

小学校への入学を機に地元の少年団に入団し、平日3回の練習と、週末に1度試合をする生活が始まりました。それだけでは飽き足りず、自宅や公園、学校の廊下でさえボールを蹴っていました。学校のガラスを割ってしまったこともあったような、なかったような。ここでは僕の腕白エピソードは割愛致します。先生すみませんでした。

小学生の頃は、サッカー以外にもピアノや体操など多くの習い事をしていたので、友達と遊べるのは週に一度くらいだったのですが、その中でも圧倒的にサッカーが楽しく結果として一番上達しました。今でも好きな言葉の一つなのですが、この時期に『好きこそ物の上手なれ』ということを実体験を通じて感覚としてすでに学んでいました。

地元の少年団は基礎を重視して教えてくれるクラブだったので、ドリブルなどの基礎的な技術を身につけ、3つも上の学年の試合に出させてもらったり地域の強豪チームと試合をする中で、驚くほどの負けず嫌い精神にさらに拍車がかかりました。

セレクション

小学3年生時、町田市内では試合で負けることも少なくなってきて純粋にプレーを楽しんでいた頃、当時のコーチや代表から「将来のためにもっと高いレベルでプレーするべき」とヴェルディのセレクションを受けることを勧められました。ヴェルディといえばトップチームは言わずと知れた名門ですが、育成組織の定評や実績も国内では指折りで、当然狭き門だったのですが、無知だった僕は特別ヴェルディに入りたいという強い思いはなく、むしろ合格する前から少年団の仲間と別々のチームになる事が寂しいような気持ちすらありました。でもこれまでの狭い世界から飛び出し色々な選手と出会えると思うとどこかワクワクするような感情もあり、実際にセレクションを受けに行くことになりました。当日、同じ少年団から一緒に受けに行った友達が先に不合格となったことで、自分はこのセレクションでヴェルディに入るんだという気持ちにスイッチが入りました。

選考が進み人数が減ってくるとレベルも高く負けん気も強い選手ばかりだったので、ゲーム形式のキックオフの際に、僕ともう一人の選手が互いにプレーを開始せずなかなかゲームが始まらなかったことは今でも覚えています。(自分がドリブルでスタートしたいので相手がキックオフするのを待っている状態。笑)結果として僕は180人以上の応募者の中から8人に選ばれ、4年生からヴェルディJr.の一員としてプレーすることになりました。

僕にとっての幸運

結果として自分の人生を大きく変えるきっかけとなったこのセレクションですが、少年団の代表やコーチとの出会いがなければ実現し得なかったと思います。小学3年生が進路を自分で決めることは容易ではないし、何より十分にサッカーを楽しんでいたということもあります。思い返すとこの時だけでなく、常に背中を押してくれる存在が身近にいたことが自分の人生にとって大きな幸運であったと思います。

次回はヴェエルディJr.編です。ヴェルディで教わることは衝撃の連続でした。そんな体験や経験をお伝えできたらと思います。


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