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【ユース編②】目標の再設定

前回、怪我が続いた高校1年生の終わりから高校3年生になるまでを振り返りました。

今回は、高校を卒業したらヴェルディでプロになる事しか考えたことの無かった僕が、どうやって大学進学を決意し、慶應義塾大学を受験することになったのかについて、経緯や思考の変化が分かりやすいように出来る限り当時の記憶や感情を思い出しながら書いてみようと思います。

目標だったクラブユース選手権

7月、長いリハビリを経て、前回のnoteで触れた通りクラブユース選手権に合わせて復帰しました。

ここで活躍してプロになる。昨年のチーム、先輩たちを超えたい。リハビリ期間中、色々な気持ちを溜めに溜め込んでいたので、この大会では個人としてもチームとしても結果を出して優勝することしか考えていませんでした。そんな想いで臨んだ初戦の相手、京都サンガユースは優勝候補筆頭。

結果は見事先発出場をして勝利。最高のスタートでした。と言えたら良かったのですが、嫌になるほどリハビリをしたのに、なんと初戦にして腰の痛みが再発。試合後サポーターの皆さんの元へ挨拶へ行った時、既にほとんどお辞儀もできない状態でした。

その後の大会期間中は、当時の楠瀬監督の配慮で休ませて貰いながらプレーしたりしなかったりといった具合で、他力ながら予選を勝ち抜き、優勝を果たした瞬間はピッチに立っていることができました。同時に、ただピッチに立っているだけという感情をどうしても拭うことができませんでした。

最高潮の中で感じたこと

決勝戦の後、皆で喜びを分かち合う輪の中に走って入れないくらいでしたが、優勝出来たこと自体はすごく嬉しく、このチームの一員であることを心から誇りに思いました。

選手とサポーターの皆さんとでヴェルディのチャントを歌って最高潮に盛り上がっている輪の中で、ふと"大学へ行ってもう一度プロを目指すべきだ"という思いに頭の中を支配されたことを今でも鮮明に覚えています。この時点で、単なる一選択肢ではなく、ほとんど決意に近いものだったように思います。一つの指標であったこの大会を経て、自分の現状を認めざるを得ないという気持ちが一つの結論として整理される瞬間を感じました。

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意思決定

進学を決意した1番の要因は、自分のメンタル面に自信を持てなかったことです。自分がプロに見合っていないことを強く感じていました。怪我が続いていたことで、90分間の試合をするイメージすら湧かない状態で、プレー面での自信が薄れている期間が続いたことで、自分はやっていけるっていう根拠のない自信を失っていました。

自分がプロの厳しい世界の中で戦っていけるイメージと覚悟が無かった。18歳でプロの世界に飛び込み勝負をしていきたいというのに、自信がないのではお話にならないですよね。この気持ちに向き合った時に、大学を経てプロになることを先立つ4年間の目標としました。

慶應義塾大学を選んだ理由

誰しも大切な目標や夢を諦めたり手放した経験があると思います。僕にとっても、目の前の可能性を自ら絶ち、確証のない4年後のプロ入りを目指すという決断は簡単ではありませんでした。

同時に今プロになって戦える可能性0%と自分で言い切れたので進学自体は消去法的に納得せざるを得ません。でもやはり4年間は長い。そこで考えたことが、大学にいくならサッカーだけでなく勉強もしてやろうじゃないかということでした。

関東大学リーグ1部に所属する大学の中で入試時期がまだ間に合い、その中でも特にリーグ戦で上位にいた慶應義塾大学。誰もが知る名門。"ここだな"と。世間知らずな18歳のサッカー少年は一人で勝手に出願を決意しました。

調べて驚いたこと。まず、サッカー推薦がない。ヴェルディの一学年上の先輩が進学していたので入試システムについて聞くと、可能性は0ではなさそうでした。

正式に大学進学の意思をクラブに伝えたのは、プロに昇格した同期のメンバーたちがオファーを受けるより前のこと。コーチ室へ向かい、進学の意思と慶應義塾大学を受験したいことを当時の監督とコーチに伝えると、かなり驚いていましたが、もう決めたことだったので全く気にしませんでした。

そうして8月下旬、AO入試対策を始めました。

高校→予備校→練習→予備校→対策

時期的に間に合うとは言え、対策ベースでいうと大幅に遅れていたので、対策は想像以上に大変でした。まず初めに親にお願いをしてなかなかに高額な予備校に入れてもらいました。

二次試験前は、高校から直接横浜の予備校に行ってから、練習のためによみうりランドへ行き、21時前にクラブハウスを出てその足で横浜の予備校へ戻って、日付が変わってから帰宅してまた対策をしました。多分もう出来ません。

合格通知を確認して、また目標へのスタートラインに立てることを確信した時は本当に安心しました。(当時協力していただいた慶應ソッカー部の諸先輩方本当にありがとうございました。)

サッカーとの両立で言うと、とても難しかったと言わざるを得ません。まだ残っていた腰痛、睡眠不足と疲れ、プロになるプレッシャーからは一時的に解放されても、受験のプレッシャーと向き合いながらチーム内での競争をする生活でした。

全ては繋がっているということ

最終的に引退が決まった試合でも、状態が万全でなくメンバーから外れました。高校3年間、怪我に怪我を重ね、悔しい思いをし続けたこと。自分の意思で進学を決めたこと。9年間もの間、ヴェルディでプロになるという一つの目標を持ち続けてきたこと。

その全てが新しい環境でチャレンジしようと考え直せたこと、またそれからの過程でもかけがえのない原動力となりました。この経験がなかったらプロになれたかどうかすら分かりません。だからこそ、厳しい状況や苦しい時こそ成長のチャンスだと思い続けています。

今の状況でもまた同じことを考えています。不安だったり、困難に直面している時こそ何か新しい行動によって成長するチャンスがあるかも知れない。この経験やマインドはこれからも大切にしていきたいです。

最後メッセージみたいになってしまいましたが、自戒の念を込めて。長文になってしまいましたが最後まで読んでいただき有難うございました。

大学以降については整理に少し時間がかかりそうなので、次は何か違う内容にチャレンジしてみようかなと思います!

おまけに、懐かしい記事があったのでシェア。

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