情報リテラシー論④

私もブログに触れる機会が増えてきたことで、興味のなかった他の方のブログを少し読むようになった。元々本のジャンルでエッセイが好きだったりする影響か、ブログだとその投稿主の方の感性や、言葉がリアルに見えて面白いと感じるようになった。
今回の講義の中で、旧Twitterはブログの一種であり、ミニブログであったことを知って全く触れたことのなかったブログも何気に近くに潜んでいたのだと驚いた。私の偏見で、ブログは難しいことについて書かれていたり、何かの感想をただ書くといった印象が強かったため少し関わりにくいもののイメージだった。しかし、この講義を受けてから先生がブログに関わる機会を与えてくださったため、また印象が変わり面白いと感じれるようになった。
毎回前置きが長くなってしまう。

講義の中で東日本大震災の頃のネットワークについての話があった。よくよく考えてみると、当時は私も幼かったため携帯など持っておらず、連絡手段のことなど全く気にしたことがなかった。情報を得るには大人たちからの教え、テレビ、本くらいしかなかったのだと考えると今では信じられない。今は災害が起きてもスマホですぐに連絡を取ったりできるが、当時は携帯はあれど今ほどネットが強かった訳でもないだろうし、どうしていたのかとても気になった。なので実際に久しぶりに母へ電話をし尋ねてみた。
すると、母は当時スマホは持っておらずガラケーは持っていたそうだが使うことはほとんどなかったという。今では当たり前のLINEもないわけで、自身の親(私からみて祖父母)の安否もネットは使い物にならず確認できない。固定電話も皆が集中して使ったため?通じなかったらしい。Twitterで地震発生の状況をすぐに確認することもできないため、テレビをすぐにつけて、情報を必死に得たそうだ。しかし、私の祖父母は固定電話の他に昔から使っていた黒電話がまだ家にあったらしく、それは電波は関係ないため母は早めに連絡を取ることができるようになったのが救いだったと話してくれた。
今の私からは想像もできないことが多かったため驚くことも多く、聞いてみて良かったと思う。

大きな災害を経験したからこそ余計にSNSが発展し、今に至るのだろうなと改めて感じることができた。それにしても母の話を聞いていて、当時の私は今何が起きていて日本が大変なことになっていると感じ取ってはいたものの、なんて脳天気に生活していたのだろうと自分のことながらにびっくりである。

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