「ベイビーブローカー」(ネタバレ注意)
こんばんは。さっきみた映画「ベイビーブローカー」について何か書けそうだと思って、忘れちゃいそうだし、勢いのまま書いてみることにした。
なぜこの映画を見ようと思ったか
正直ミーハー精神である。前項目でも言った通り、自分の心がやみかけていたので何かしら精神衛生によい映画を見なくてはと使命感を抱きました。今やっている映画のうち、一番考えさせられそうな映画が「ベイビーブローカー」だと思ったのです。是枝監督というブランドを信用しているという能動的な理由も少なからず、あります。最近よかった映画である濱口竜介監督の「ドライブマイカー」に通じるような映画のテイストをフィーリングで受け取ってもいました。
ここまで書いて、一回寝てしまいました。しょうがないです。0時を回っていましたから。
簡単な評価・感想
私は、映画の見る絶対数が多かったわけではないのですが、めったに映画を見て泣かない私が泣いてしまいました。それだけ自分の精神状態がよくなかったこともあったと思います。でも、それだけ共感を呼び、考えさせられた作品です。正直、様々な要素が混じっており、何が正解かわからない部分もある「議論を生む」良い作品だと思いました。あんまり物事に上下を付けるのは、よくないかもしれないが、「ドライブマイカー」より鑑賞時の衝撃は大きかったのかもしれません。
それぞれのシーンや細部への所感
以降は、それぞれのシーンへの所感を備忘録的に記録したいと思います。(ネタバレ注意)
①泣いてしまったシーン
物語のわりと終盤にさしかかるころ、とあるモーテルでの一夜。ここでは、登場人物のもつバックグラウンドの全貌が明らかになりました。
特にきついなと感じたのは、サンヒョンさんの子供との面会シーンでした。おそらく彼は、夫婦喧嘩(お金がらみ?)で家を追い出された、あるいは、出て行かれたのだと思うが、子供と二人でカフェにいったとき、元?妻が妊娠したことを娘から伝えられます。彼は復縁することも考えていたことが話の中でうかがえ、衝撃的だったことが想像できます。しかも、娘の口からそれが伝えられました。彼の娘はえらくドライで、そのままやってきたスイーツに手を出さず、帰っていきます。「ベイビーブローカー」としての視点でいえば、残された前夫の娘の立場はどうなってしまうのかということをいえるかもしれません。けれど、彼はそんなことも考えず、とぼとぼと仲間?というより、同業者のもとへ何食わぬ顔で帰っていくのでした。
そして、私の涙ぽろぽろシーンがやってきます。サンヒョンさんは、気を紛らわすためにステーキをみんなの前で食べています。(一応、商談成立前夜ということで他の人からみた違和感はないはずです。)そんな中、赤ちゃんと養護施設からついてきた「ヘジン」という少年のやりとりをみて、ふとドンスさん(イケメン高身長おにいさん)がソヨンさん(赤ちゃんの産みの親)に対して、何も話しかけていないと言い、それに対して、しょうがなく全員に対して「生まれてきてくれてありがとう」ということになった。それだけで泣きそうになってしまった。自分にびっくりしましたが、そのあとにヘジンがソヨンさんに対して、「生れてきてくれてありがとう」と言ったというシーンにぽろっと来てしまった。まず、いかなる人も生まれてきて、闇を抱えていても、生きているということがこの映画において認識し、私は、単純に勇気づけられた。そして、純粋なヘジンによる一言にも、子供の優しさを感じるとともに、普通にめんどくさいけど憎めない彼の存在が好きだった。
②刑事の葛藤(何が正義か悪か)
この物語は、基本的に「ベイビーブローカー」とそれを追う「警察」の女性二人組という二項対立で形成されている。その二項対立は、単純なる二項対立で説明することはできない。一般的な価値観では、ブローカー側が悪で、警察が正義であるといえるだろう。物語冒頭では、女性警官のアンさんが、子供を預けた母親側にも「何で産むんだ」というような毒づきをしていた。彼らは、映画を通して、2台の車で物語を移っていく中で大きな共同体のように変貌していった気がする。予想以上に長い期間でお互い生活していると文字通り、情が移っていくのは明らかだった。結局その警官が赤ちゃんを一時的に受け入れることとなった。刑事側も何が正しいかわからなくなってしまったのだ。
文章が整理できないので、一回議論の対象となったものを列挙する
・養護施設に預けたままより非合法に赤ちゃんを「養父母」に売る方がいいのではないか。(ベイビーブローカーという職業の問題)
・今のブローカー共同体で赤ちゃんを養育することはできないか。
・おとり捜査をする警官側がばかばかしいのではないか。(そもそも違法だし)
意外と忘れてしまったが、こういった問題があったのにかかわらず、結局どうして捕まえるっていう選択をしたのか。法律に彼女らが従ったに過ぎないのか。現実は、そううまくいかないことを我々は知っている。刑事のこの葛藤への贖罪的意味合いで赤ちゃんを養育するということを決めたのかもしれない。最初は、不愛想にみえていた刑事の人間らしさを感じられた。無愛想な人こそ、人間味がある。むしろ私のようなニコニコしている人はサイコパスである。(笑)
*ここで書いていて、新たな疑問が浮かび上がる。そもそも刑事が育ての親になる権利があるのだろうか。簡単に調べてみたが、インターネット上にその答えはのっていなかった。彼らとベイビーブローカーの違いは、お金が伴うことである。お金の代わりに実際、審査等があったのかもしれないが少々雑に思えた。(構成上の問題)
③小言
車の中にいるシーンのBGMに違和感を隠せなかった。ギターののどかな音楽だったが、見ている側の緊張感とおおきなギャップを感じた。しかし、よく考えてみれば、先に共同体のような2台の車であるといったように制作側にとっては、本当の家族旅行のようなつもりで撮っていたのかもしれない。こんな状況でもかわらない日常なのか。何かしらの意図はあってほしい。でも、違和感は隠せない。
そもそも「ドライブマイカー」と同様に車に乗っているシーンが映画の構成上多かった。東京に住む学生にとっては、あまり親近感がないが、車の現代における重要性は否定できないなと思った。洗車のシーンに思わず笑ってしまったようにドライブの楽しさは、車酔いをする人以外は否定できないし、近代における車の発明の重要性を再認識できたし、私が死ぬまで車という存在は無視できないとも思った。
まとめに変えて
この映画は「愛」に関する物語であると言っていい。すべての人が愛を受ける権利があるし、失う可能性もある。それには、様々な要因があり、その要因がこの映画には埋め込まれていると思った。サンヒョンさんは、家族を失って、映画が終わったあとも行方は知らないがソヨンさんに言われた言葉を胸に生きていてほしいばかりである。
私も彼女と別れる経験をしているが、この映画をみて、なんとなく、別れるという経験をしてよかった気がした。小さな絶望を乗り越えて私たちは日々生きていくのである。
今回の文章は少し乱雑になってしまった。映画の文は即日に書くべきだった。(書き終えるのに2週間使って、最後は小1時間で占めているます。)
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