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イカスミパスタ

先日、ほぼ人生で初めてくらいにイカスミパスタを食べた。

といっても、どこか特別なお店でというわけではなく、大学近くのサイゼリヤで、だけど。

ふと考えてみると、ここまで四半世紀の間、イカスミ自体食べた記憶はまったくと言っていいほどない。

それがなぜかと言われた時に、はっきりと答えられる理由は特に思いつかない。

だけど、曖昧ながら一つだけそれらしきものはある。

というのも、以前した母との会話の内容が未だに頭のどこかに残っているからかもしれない。

それは別に大した内容ではないし、明確なストッパーになり得るものではない。

だから現に、僕はこの前のサイゼリヤでイカスミパスタを食べているわけだし、TVでイカスミパスタが紹介されているからといってチャンネルを変えたりはしない。

ただ、そのせいで、メニューのイカスミパスタの隣に乗っているペペロンチーノが少しだけ美味しそうに見えるくらいの些細な引力は確かに持っていた気はする。

だから、おそらくパスタの専門店に行っていたら、イカスミパスタを頼まなかったであろう自覚はあるし、そのお店にもしカルボナーラがメニューインされていたら、間違いなく僕は一瞬でカルボナーラを頼んでいる。僕の人生の中では、カルボナーラは全てにおいて最優先される。

とは言ったものの、サイゼリヤのカルボナーラは飽きるほど食べたのが後押ししたこともあり、先日はイカスミパスタを頼むことに相成ったわけである。

つらつらと書いているが、では、肝心なその母との会話の内容はどのようなものだったのか。

それは「イカが身を守るためのイカスミを食べるのはなんか気持ちが悪い」というものだった。

イカが身を守るためのイカスミを食べる…あまり、こういう状況って他ではないんじゃないかなって気がする。むしろ、倒錯した性癖とかに近いのではないだろうか。

なんというか、伝わっていなさそうなので、みなさんイカになった気持ちで考えてほしい。

正確にはイカじゃない。なんか色々知っているイカになってみてほしい。なんだろう、あのー、人間の擬態をして地上で生活しているイカ。はい、あなたは今それです。

その状況で、サイゼリヤに行ってメニューを見てほしい。

うん、わかるよ、最初のページの方にある「真イカのパプリカソース」でめちゃくちゃくらうのはわかってた。ごめん。
でも、もう少し先のパスタメニューのところの話をしたいんだ。

はい、見てみて。辛いだろうけど。


そう、「イカの墨入りスパゲッティ」。今回見てほしいのはそれだ。

さあ、進化の段階で自分が逃げるために獲得したスミすらも食材とされているのを目の当たりした気持ちは如何ほどだろうか?

もし僕だったら、「真イカのパプリカソース」より、さらに深く絶望のどん底に突き落とされる。

相手が嫌がるだろうと思って、今まで防御を兼ねた攻撃として使っていたスミが味付けとして使われている様を目の当たりにするのだから。実際、海で人間に追われているときに、思い切りスミを吐いた貴方の目の前で、その人間がそのスミを口に入れ美味しそうな素振りをされたら、ドン引きの極みである。えっ絶対勝てないじゃん、である。

我々が弱肉強食的な命の駆け引きをする場面は今日極めて少なく、卑近な例がイマイチ出てこないため、皆さんにはイカになってもらったわけだが、なんだろう、殺したい相手に向けて放った銃弾を美味しそうに舌で受け止められたり、悪の魔王を倒すために切りかかった剣を折られ、破片を煎餅のようにボリボリ食べられたりしたら無力感に打ちひしがれるのではないだろうか、なんかどうやっても勝てなくね感が凄まじい。しかも厄介なのは、弱肉強食の絶対的なルールの下、食べる必要があって食べているわけではなく、自身の最後の切り札を嗜好品として相手に食されるというところなのだ。

だから、イカスミを見ると、そこまでやるのかと思うのかもしれない。

そして、ふと織田信長が一乗谷城の戦いの後に朝倉、浅井両氏の髑髏杯を作って酒を飲んだという逸話をこのタイミングで思い出したのもどうやら偶然ではないのかもしれない。

そんなことを考えながら、初めてイカスミパスタを食したのが先日。

実際に食べてみると、ここまで散々言っておきながら、生臭さはそんなになく主張しすぎないほどのコクがあって、僕は好きな味だったのが、またイカに対して申し訳なさを感じた。でも、進化の過程で自身のイカスミにコクをつけたことに関しては彼らにも非があるのかもしれない。

以上、イカスミパスタの話でした。





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