あれはもしかして
2024年8月29日に思うこと
あれはもしかして
伊勢湾台風だったのかもしれない
そう思った
名称と知識は
後になって
思い出すものだ
わたしは
幼児の
記憶の
断片として
思い出すだけだ
父親が作る小さな庭に囲まれるように小さな平屋建ての家が建っていた
日陰になる部分は
それなりに
そこで生きられる植物が
植えられている
全く人付き合いが嫌いな人で
給料を持ってくる以外
一人で
庭を作っていた
日当たりのいいところには
父親が作った木製ベンチがあり
私の嫌いな(笑)カエルの卵がやってくる池というか子どものプールがあった!
床上浸水
玄関の中まで水が来た頃
大人たちは何を相談していたか知らないが
海で遊ぶときに見たことがあるゴムボートがやってきて
私は抱っこされて
隣の
高台のお家に
連れて行かれた
そこの
おばちゃんはよく知っている人で
会ったこともある
うちに作りすぎたと言って美味しいスープを持ってきた
お姉ちゃんがいて
私より
2、3歳上で
お絵描きしよう!と
言って
遊んでくれた!
私
お絵描き好きじゃ無いのに
お姉ちゃんは
バレリーナーの絵を描いてくれた
(今思えば、ドガみたいな物ね)
何度も
同じような絵を
飽きずに描いている
好きなんだね!お絵描き!
(そのお姉ちゃんは、その後芸大に現役合格してなんか知らない賞も貰って
私の知るところでは最後は鎌倉で画廊をやっている)
でも
私はその後お姉ちゃんの展示とか見に行ったけど
だんだん
その師事した先生の作風になってきて
私は
あまり好きではなかった
私は
今でも
あの台風の時
私に描いてくれた絵の方が
好きだ!
おばちゃんがお母さんも別のとこに逃げた救出されたと教えてくれた
私が
水に囲まれた私の家をおばちゃんの家の二階から覗いたら
屋根の下まで水が来て
なんと
屋根の上に
うちの父親が
雨の中
タバコを咥えて座っている!
お父さん!何してるんや!
やっと救助の言うことを受け入れて移動したのは
だいぶ経ってからだったのだろう
私は
なぜか
雨の中のタバコと父親の姿をはっきり覚えている
あの人!
きっと
「家」を守りたかったのかな?と
思っている
東京大空襲の時
巣鴨の二人の新婚アパートから
おばあちゃん(母親の母)を背負って屋根つたいに逃げた様子は
早乙女さんの本の中で知ったのはだいぶ後になってから
つまんない遊びしかしてくれないお姉ちゃんの家には長いこと預けられていた気がする
お母さんはどっかで大活躍で
自分の家のことも
お父さんに任せると役所で喧嘩してきて
貰えるものも貰えない
と
言っていた
おばちゃんは
オムライスを
作ってくれた
その時
私は
全く
記憶がないんだけど
こう言ったらしい
お母さんの方が美味しい!
この子ったらそんなこと言うのよ!と母親に報告していた
PSアイラブユー
やっぱり1000字では足りないわ!
どうしようかしら
でも
きっと今知りたい情報はこんな話ではないよね!
なかなか興味深いことあって
自分の中で牛さんみたいに反芻しなくては表に出せない
ところで!
みんな
食中毒に注意!
これ重要!
ああ!
今日も野暮用忙しい
31日までの展示の美術館いけそうもない!
でも
なんとかする!
また思うとこあって
スコア書き直してるし!
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