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イムジン河を訪ねるソウル3泊4日の旅4〜DMZツアーでイムジン河にかかる自由の橋へ

今回の旅のいちばんの目的であるDMZツアー。
正直、韓国へ30回ほど訪れていても、わざわざ軍事境界線へ行ってみよう等と思うことはありませんでした。
今回、初韓国の友人社長が38度線の軍事境界線を見てみたいとのリクエストで参加する事となりました。
結果、非常に有意義で価値のある体験となりましたので、よければ最後までお読みください。


DMZ(非武装地帯)とは

DMZとは英語のDemilitarized Zoneを略し、非武装地帯を意味します。
停戦状態にある国家や軍事勢力間の衝突を防ぐために条約や協定で軍事活動が許されない地域を非武装地帯と言い、朝鮮半島では朝鮮戦争の休戦に基づいて北緯38度付近の韓国と北朝鮮の国境線から南北に2kmずつを非武装地帯に設定されています。

DMZへの行き方

韓国語ができる方ならソウルからKORAILの京畿中央線で文山(ムンサン)駅からバスで臨津閣に直接行けます。
ただし、軍の身分確認やら手続き等を考えるとソウルからのバスツアーを利用した方が実際に利用してみてもガイドさんがいる安心感から楽です。
特に今回は、米兵が7月に北朝鮮に越境して以来、中止されてたDMZツアーが一般に再開されてまもなくだったので一日の受け入れ人数とかが厳格に決められていたりトラブルも嫌なのでツアー参加が間違いなかったです。
半日と一日のツアーがネットで検索すれば何社も出てきます。
内容はどこも変わりませんので、半日ツアーで十分です。
私たちはKLOOKの半日ツアーに参加しました。
レートで¥8,359ぐらいでしたか。
8時に弘大入口を出発し、臨津閣平和公園・第3トンネル・都羅展望台を回り14時頃に市庁で解散となるコースでした。
朝7時前にワゴンで宿泊先のコンラッド迄迎えに来てくれました。
この日は朝から氷点下で昨夜の雨が小雪に変わってました。

小雪の舞うソウルの早朝

集合先の弘大入口でツアーバスに乗り換えです。
ツアー申し込み時に日本人が人数揃わない時は英語でのガイドとなるとの案内がありましたが、日本人は5人で外国人は30人ぐらいの参加。
専属の日本語ガイドさんが付いてくれました。

ツアーバス

臨津閣国民観光地

バスで1時間近く移動し、最初の目的地である坡州市(パジュ)の最北にある臨津閣国民観光地へ。
検問等もなく、一般人が自由に行ける北朝鮮に最も近い場所になります。

臨津閣国民観光地

目の前のフェンスの向こうにはイムジン河と自由の橋が。
今回の旅の目的地です。

イムジン河から自由の橋を眺める

平和の鐘閣と望拝壇

臨津閣は朝鮮半島統一を祈願する施設。
平和の鐘閣の鐘は、朝鮮戦争で使われた銃やヘルメットを溶かして造られており、大晦日から新年には人類平和と民族統一を祈る鐘がつかれる場所だそうです。

平和の鐘閣

望拝壇の記念碑は離散してしまった家族らが旧正月や秋夕に北朝鮮に少しでも近い場所に集まり合同祭祀が執り行われるそうです。
分断の現実をツアーに参加する事で、ガイドさんから日本語で聞けたことは良かったです。

望拝壇

自由の橋

臨津閣のメインスポット自由の橋のエリアへ。
1953年に南北の休戦協定が結ばれ、13,000人近くの北の捕虜になった人たちが自由万歳を叫んで橋を渡り南に帰還したのが自由の橋の名前の由来だそうです。
当時の橋は木造で再現されたレプリカの橋を渡り、北に続く鉄橋となった自由の橋を望むことができるのですが、残念ながら立ち入り禁止となっていました。

自由の橋の再現された木造レプリカ

今の自由の橋は正式名称は臨津江鉄橋。
京義線の臨津江駅と都羅山駅を結びます。
都羅山駅からは北の平釜線に繋がり南北を結ぶ連結事業がありましたが、2008年から北の中断で1年余りで運行を取り止め、2018年に南北首脳会談で再開したものの、その後は北の2020年に開城の南北連絡所の爆破で再び中断に。
南北朝鮮は休戦中なだけで、常に戦争と隣り合わせな事を北緯38度線に来て再認識させられます。

自由の橋(臨津江鉄橋)

かって、南北を結んでいた鉄道のレール。

南北を結んでいたレール

駅の看板はソウルより北朝鮮の開城が近い事を伝えてます。

駅名標

1,020発近くの弾痕まみれの朽ち果てた蒸気機関車。
1950年に米軍が南進してた機関車を北朝鮮に使用されないように銃撃して破壊。
半世紀近くDMZ内に放置されていた機関車を修復し、2004年に文化財として臨津閣に展示されるようになったそうです。

破壊された機関車

南北分断前までは朝鮮総督府鉄道として南北を往来していた機関車で、朝鮮戦争では国連軍の軍需品輸送に使われていたそうです。
日本の機関車だけに三菱の刻印等も見られました。

1,200発近くの銃痕と三菱の刻印

臨津江スカイウォーク

機関車の奥に爆撃で破壊されたトッケ橋があります。
破壊で残された橋脚を改良し、銃撃の弾痕やイムジン河を一望できる施設として2016年にオープン。
大人2,000ウォンの有料ですが、渡ってみて良かったです。
黄色い線の民間人統制ラインの先は写真禁止となっていたので入り口のみですが、イムジン河の半分までしかない橋。
その先は橋脚だけが残る近くて遠い北の地。
♪イムジン河みずきよく
とうとうと流る♫
あのフォーククルセダーズの歌うイムジン河の歌詞が脳内リフレンされました。

臨津江スカイウォークと民間人統制ライン

残念だったのは、自由を求めるこの地にも双子の慰安婦少女像が設置されていました。
2011年に慰安婦支援組織の動きで強行的にソウルの日本大使館前に慰安婦少女像が設置されて以来韓国全土に100体以上の像が設置されてるそうです。
時の政権の反日姿勢で拡大し、この地にも多くの人が訪れる場所にフォトスポットかのように設置されていました。
尹大統領になり日韓の関係が改善されてきてる中で、反日の象徴とされた像が前大統領の与党時代に急速に増えた事実。
日韓の関係は自由であり続けて欲しいのですが、残念なが慰安婦少女像を見ると不自由な関係に逆戻りしてしまわないかと…
奇しくも韓国民は前政権の野党を、また国政選挙で選択されました。
友好的で自由な往来、発言のできる日韓関係が続く事を心より願います。

自由の橋入口の慰安婦少女像

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