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MMT=FFT?現代貨幣理論とラーナーの機能的財政論って何が違うの?

現代貨幣理論(MMT)が機能的財政論(FFT)と同じだと思っている人は、MMTerがラーナーの新古典派的な貨幣論を否定してしまうため、MMTについて議論してもフラストレーションを感じるだろう。ーーディルク・インツ

 ドイツの経済学者でMMTerのディルク・インツ(Dirk Ehnts)〔欧州経済とMMTをテーマにした著書がある〕は、ブログでアバ・P・ラーナーの論文を参照しながら、MMTとラーナーの機能的財政論(FFT)の共通点と相違点を挙げている。

(ラーナーの論文「Functional Finance and The Federal Debt」:
https://www.jstor.org/stable/40981939?seq=1#metadata_info_tab_contents

(インツのブログ・エントリ:
https://econoblog101.wordpress.com/2021/06/09/how-functional-finance-differs-from-modern-monetary-theory-mmt/

 インツの問題意識はこうだ。「経済学者の中には、MMTが理論の寄せ集めであると勘違いしている人がいるが、そうではない。例えば、アバ・ラーナーの機能的財政とMMTは同じではない。MMTが共有している部分もあれば、MMTが否定している部分もある。」(Twitterより:
https://twitter.com/dehnts/status/1402551211602108419

 例えば、ランダル・レイのこの記述。

MMTは、ジョン・M・ケインズ、カール・マルクス、A・ミッチェル=イネス、ゲオルグ・F・クナップ、アバ・ラーナー、ハイマン・ミンスキー、ワイン・ゴドリーなど、数多くの碩学の見識の上に築かれた、比較的新しいアプローチである。MMTは、言わば『巨人たちの肩を踏み台として成り立っている』のである。(L. Randall Wray, Modern Money Theory: A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems (2nd edition), Palgrave Macmillan, 2015, p. 1)

 ひょっとするとこのあたりを読んで、MMTを様々な「理論の寄せ集め」だと思う人もいるのかもしれない。

 ラーナーの機能的財政論(FFT)とMMTが同意する点はある。例えば、ラーナーは、財政政策は「何が健全財政か不健全財政かという伝統的な教義にとらわれず、政策が経済に与える結果のみに目を向けて行わなければならない」と述べている。これは、機能的財政の根幹となる主張であり、MMTも同意する点である。他にも、「課税は支出を賄う目的だけで行なうべきではない」、「借入を行なうべきなのは、国民が通常のお金よりも国債をより多く保有することが望ましい場合に限られる、あるいは、そうしないと金利が下がり過ぎてしまう場合には望ましいかもしれない」など、政策の「機能」に焦点を置く主張には首肯できる部分がある。

 しかし、「低金利が過剰な投資を誘発し、インフレをもたらす」というようなMMTとは明らかに異なる見解もある。インツは上記のような共通点を認めつつも、やはりMMT=FFTというような理解は間違っていると強調する。

 例えば、以下のラーナーの文章にもMMTの認識との違いが現れているとインツは言う。

赤字支出が実際に機能することを理解した公共心のある人々でも、その多くは未だに繁栄を恒久的に維持することに反対している。赤字支出が全体としてどのように機能するのかについてはわからないため、恐ろしい結末を語るおとぎ話に簡単に怯えてしまうからだ。

 インツが問題にしているのは、「赤字支出」という言葉だ。MMTでは、政府(多くの場合中央銀行を介して)は「通貨の発行者」であり、ただ支出を行なうだけで通貨を発行することができる特別な存在である。インツが指摘する通り、「通貨の発行者」に対して「収入」や「財源」の概念は意味をなさない。「赤字」とは収入<支出、「黒字」とは収入>支出なのだから、収入を必要としない時点で「黒字支出」もなければ「赤字支出」もない。

 またケルトンは、「財政赤字」と呼ばれているものは「二つの数字の差に過ぎない」と言っている。一つは、政府が経済に投入する通貨の量(支出)、もう一つはその経済から回収する通貨の量(主に税収)。通貨を回収するよりも多く投入すると、政府は「赤字」だと言われる。しかし、これは無意味な捉え方である。政府は、スポーツの試合で言う「スコアキーパー」であって、「ポイント」を稼ぐ必要はない。通貨を必要としているのは、利用者である人々の側である。「二つの数字の差に過ぎない」と言うのは、その差を「赤字」として強調すること自体に意味はないということだ。
https://twitter.com/stephaniekelton/status/1321180783860764675?s=21

 「赤字支出」という言葉にも同様のことが言える。政府支出は、中央銀行を通じて受取銀行の口座に数字を打ち込む(キーストローク)だけで行われる。「黒字支出」と呼ぼうが、「赤字支出」と呼ぼうが、この政府支出の仕方が変わるわけではない。インツは、「政府はどんなに頑張っても『資金調達』はできない」と皮肉を込めて言っている。

 また、ラーナーは「貨幣支出が貨幣収入を上回る場合、それを貨幣貯蓄から賄えないのであれば、新たに貨幣を印刷して賄う必要がある」と述べている。これに対しインツは次のように指摘する。

これは、MMTとは真逆の考え方である。ポスト・チャータリズム(表券主義)の理論として、私たちは「政府はまず先に支出し、後に課税する」と考えている。よって、税金は政府の資金源にはならない。むしろ、税収は国に「返ってくるお金」(仏:revenu)である。

 要するにラーナーはスペンディング・ファーストの認識を持っていない、ということなのだが、ここでは「税収」(英:tax revenue)という言葉の理解も問題になっている。インツが正しく表現しているように、「収入」と訳される英語の「revenue」は、「返ってくるお金」を意味するフランス語の「revenu」に由来する。

 ランダル・レイも『MMT入門』で同様のことを書いている。

今でも、私たちは税金を支払う際に、「タックス・リターン」〔アメリカの納税申告書のこと〕を提出したという言い方をすることに注目してほしい。一体何を「返済」(リターン)したというのか?(私たちが返済義務を負っている〔owe〕金額を示す明細書も添付して、)通貨主権を持つ政府に、政府自身が発行した通貨を返済したのである。昔は、硬貨や割り符(tally sticks)、紙幣、その他の形態の通貨を政府に「返済」することで、納税債務が償還されていた。〔納税債務の償還によって〕通貨を政府が受け取ることを「歳入」(revenue)という。この英単語の語源はフランス語の「revenu」であり、さらに語源を辿ると「返す」「戻ってくる」を意味するラテン語の「reditus」に行き着く。税金が支払われた時、何が政府に「戻ってくる」のだろうか。政府自身が発行した通貨である。(Wray, 2015: p. 2-3)

 英語圏ですら無意識に「revenue」を「income」と同じ「収入」という意味で捉えており、ましてや日本語の場合「tax revenue」を「税収」と漢字二文字で訳すと、「revenue」が持つ「return」の意味がますます伝わらなくなってしまう。日本語ならせめて、「租税収入」ではなく「租税回収」「租税返済」などと呼ぶべきだろう。

 ラーナーの財政論には他にもMMTとの齟齬がある。論文の後半では、「金利は〔政府が〕さらに借入を行なうことで支払うことができる」とラーナーは述べている。これについて、インツは以下のように解説する。

MMTによれば、政府は借入をしているのではない。政府は通貨(準備預金)を発行し、それを利付証券(国債)に両替(スワップ)することを選択する。(少なくとも現在は)どうせ準備預金で金利が支払われるのだから、国が金利を準備預金(または決済用預金)で支払っても、国債で支払っても違いはない。FRBは、銀行がお金を動かせるさまざまな口座を提供しているという、ただそれだけのことだ。

 いわゆる税収は「通貨の回収」であって「収入」ではない、国債は「通貨の両替」であって「借入」ではない。ラーナーは通貨の発行に言及はしているものの、やはり税収や国債は「財源」という認識であるようだ。

 ここまで見てきたように、機能的財政の「財政政策はその『機能』に基づいて行われるべき」という基本的見解はMMTも共有しているが、「政府支出について通貨システムがどのように『機能』するか」については見解が大きく異なっている。

 日本でMMT解説の書籍も出している望月慎氏は、次のように述べている。「ラーナーに至っては、賃金上昇への規制、反循環的財政政策の放棄、均衡財政の徹底、中央銀行への依存を大真面目に主張していたわけである。(これはラーナーがどうも内生的貨幣供給をあまり理解していなかったらしいところに起因するように私には思われるけれども)」
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/1171278283876388864?s=21

 これは上記に挙げたインツの指摘と一致するように見える。機能的財政という方針は共有し得ても、ラーナー自身は「内生的貨幣供給」、「通貨システムの機能」といった財政のオペレーションを正しく理解していなかった。このことが後の均衡財政をはじめとする主張につながっていったのではないかと。ちなみに、望月氏が参照しているリッキー氏のブログエントリも参考になるのでリンクを貼っておく→「ラーナーとミンスキーを比較する」(https://blog.goo.ne.jp/wankonyankoricky/e/8a6be43bc68ce66181511d122587a6af

 ラーナーの機能的財政論(FFT)しか知らない状態でMMTについて議論しても、フラストレーションが溜まるだけであるとインツは言う。「ミンスキーやゴドリーやケインズ『だけ』を読んでも同じだ。MMTはマクロ経済学のバランスシートのアプローチから始まり、論理的一貫性に基づいている。人間が猿から派生したものではなく、共通の祖先を持っているように、MMTもFFTから派生したものではなく、共通の祖先を持っている。」

 例えば、クルーグマンは「機能的財政に基づいているという以外にMMTが何なのかわからない」などと発言しているが、これも上のインツの指摘の範疇に収まる見解だろう。
https://twitter.com/paulkrugman/status/1372174002324697090?s=21

(了)

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