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ビル・ミッチェル『価格上昇は短期的なものである:インフレを恐れて緊縮財政に回帰するべきではない』(2021年6月8日)

完全雇用が実現するまで、政府は公共支出を削減する必要はない。ーービル・ミッチェル

 ガーディアン紙に投稿された最新の記事(『価格上昇は短期的なものである:インフレを厄介者として復活させるべきではない』、2021年6月8日)で、ビル・ミッチェルは、インフレ・タカ派とマスコミは誤った認識に基づいてインフレ不安を煽っており、一過性の価格上昇と恒常的なインフレを混同していると指摘している。また、支出以外で価格上昇圧力を生む要因を挙げている。
(リンク:
https://www.theguardian.com/commentisfree/2021/jun/08/price-rises-inflation-full-employment-public-spending

 若干長い引用も含むが(何を今更)、かいつまんで紹介したい。

 未だに財政赤字が批判されているといっても、財政に関する議論の性質自体は変わってきている。十数年前の世界金融危機における財政拡大では、政府は資金不足に陥り債務超過に至るという予測がなされた。しかしその後も財政赤字は増加し続け財政が破綻する様子はなく、債務超過を心配する声は聞かれなくなった。「焦点は、意味のない財務比率から、実物資源の希少性に関わる本質的な問題(つまり、各国がどれだけ完全雇用に近づいているか)に移っている。」とはいえ、「インフレ恐怖症」も以前の「破綻恐怖症」と同じく誤った考えに囚われているとミッチェルは指摘する。

 インフレ・タカ派は、巨大な財政赤字と中央銀行の国債購入(「カネを刷る」と誤解されている量的緩和〔QE〕)が「ハイパーインフレを引き起こす」、「ジンバブエのようになる」と警告する。しかし、ミッチェルに言わせれば、彼らは政府支出のオペレーションにもハイパーインフレの歴史にも無知である。

 まず政府支出についての正しい記述はこうだ。
 「すべての政府支出は、中央銀行が銀行口座に数字を入力することで行われる。税金や国債売却による支出も、『カネの印刷』も行われていない。

 政府支出とインフレの関係性はどうか。
 「政府による支出であれ、非政府部門による支出であれ、名目支出の伸びが生産能力を上回れば、あらゆる支出はインフレのリスクを伴う。

 生産能力を上回ればといっても、政府支出の伸びを抑える必要が出てくるのは経済が「完全雇用」に達した場合であり、そのような時には民間の購買力抑制のための増税もひょっとすれば必要になるかもしれない。とはいえ、失業率の高さや賃金の伸び悩みを考慮すれば、現状は完全雇用に至るには程遠い。歳出削減も増税も全く必要ない。

 続けてミッチェルは、日本を主流派のマクロ経済学の誤りを示す例として挙げている。少し長い引用になるが、日本が行った量的緩和では総支出を押し上げることはできなかったと述べている。

1990年代以降の日本の経験は、大規模な財政赤字と量的緩和〔QE〕プログラムに直面して債券市場の反発やインフレの加速を誤って予測した主流のマクロ経済学の誤った性質を示している。現代貨幣理論(MMT)によれば、QEでは中央銀行が銀行の準備預金に現金を足して国債を購入するという運用が行われる。銀行の融資は、利用可能な準備預金によって制約されることはなく、準備預金が消費者に貸し出されることも決してない。むしろ、貸出は信用力のある借り手からの需要によって行われるが、深刻な不況の中ではそのような借り手は少ない。QEが総支出を刺激する唯一の方法は、金利を低下させる能力を通じてのみ可能である。中央銀行が流通市場で債券を購入すると、需要の増加によって利回りが低下し、それが関連する金融資産の金利低下に波及する。債券利回りの低下は株式需要の増加を促したかもしれないが、総支出を資源制約を超えて押し上げることはできなかった。

 インフレ懸念についてはハイパーインフレを警告する論者もいるが、ミッチェルが1920年代のドイツや現代のジンバブエの事例を説明する要因として挙げているのは、財政赤字ではなく「大規模な供給ショック」である。ジンバブエでは、政府による農地没収が生産高の崩壊を招き、製造業も損害を被った。「財政黒字であっても、そのような供給の縮小によってハイパーインフレが起きていただろう」とミッチェルは強調している。また、現在生じているサプライチェーンの問題は一過性のものであり、その影響は比較的小さいという。

 現実に生じている価格圧力にはどのようなものがあるか。例えば、ロックダウンの緩和に伴い、燃料需要の増加が(以前は大きく落ち込んでいた)原油価格を押し上げている。とはいえ国際標準で見る限りは、パンデミック前の水準にすら至っておらず、未だ低い価格帯で推移している。

 インフレの恐怖を煽る人々が持ち出すのが1973年のオイルショックだが、今日の世界で70年代のインフレが起こるとは思えないとミッチェルは言う。それ自体はいいことだが、その理由はあまり心穏やかになるものではない。というのも、原油価格がインフレに影響を及ぼしにくくなったのは、労働者の価格交渉(分配闘争)能力が弱まったことと関係している。その力は、「不安定労働の増加、失業や不完全雇用の継続的な増加、賃上げ要求を行う労働組合の能力を低下させる悪質な法律によって制約を受けている。」日本は特に顕著だが(平均インフレ率0.2%:IMF)、世界的な低インフレからみても、70年代のような賃金の急上昇は起こらないだろうとミッチェルは指摘する。

 MMTではむしろ、「総支出による圧力とは無関係なインフレの引き金」の方を重視している。例としては、
・行政による価格設定の慣行(例えば、民営化されたエネルギー会社や運送大手との間で、現状とは無関係に価格を引き上げる物価スライド協定が結ばれている)
・市場権力の濫用(カルテルなど)
・ヘッジファンドによる農産物市場への投機(2008年に大規模な食品価格の上昇をもたらした)
 こうした引き金は政府が規制しなければならないとミッチェルは訴える。

 またこうしたインフレ議論を行なう際に、基本的な誤解を正しておく必要がある。つまり、「インフレとは価格水準が継続的に上昇することであり、単発的な価格上昇をインフレとは呼ばない」ということである。不況の後に企業が価格を不況前の水準に戻したとしても、そのような調整はインフレではない。株式市場の高騰もインフレとは異なる。人によっては当たり前の事実だが、このあたりの基本的な理解の欠如が議論の混乱を招いているようである。

 ここで結論。「現在の価格高騰は一過性のものであり、恒常的なインフレが発生することなく吸収されると私は考えている。したがって、そのような価格上昇は緊縮財政への回帰を正当化するものではない。」(了)

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