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『貨幣神話の破壊:ステファニー・ケルトンへのインタビュー』(2020年8月11日、ディセント・マガジン)

 今日は以前twitterでシェアした海外の記事の内容を、下記のとおりまとめてみました。
‪(昨日上げた『The Deficit Myth』の続きとなる第2章はまた後日投稿します。) ‬

原文記事は↓のリンクから。

https://www.dissentmagazine.org/online_articles/monetary-mythbusting-an-interview-with-stephanie-kelton

(以下、あくまで個人的に重要と感じたところのみを訳出。趣旨を歪めないよう留意しつつもかなり端折っているのでご承知おき下さい。)

『貨幣神話の破壊:ステファニー・ケルトンへのインタビュー』(2020年8月11日、ディセント・マガジン)

——なぜ「国の借金」(national debt)が成長の障害にならないのか、そしてなぜ政府が自身の優先する政策への支出を賄うことができるのかについて、『The Deficit Myth(邦題:財政赤字の神話)』の著者ステファニー・ケルトン教授が語る。

 なぜ私たちは政府の財政を個人の家計に例えるのか。それは政治家が財政のような複雑な問題については、国民が共感しやすい形で話すことが最善であると考えているからだ。よって家庭の台所事情で予算の均衡を考えることになる。政府も家計と同じく収入に見合った支出をするべきで、収入より多く支出する、つまり借金を積み重ねるのは破綻の危険があるというのだ。 

 これが何故「神話」なのかというと、簡単に言えば政府は通貨を発行でき、家庭や企業は通貨を発行できないという点に尽きる。あなたがドルを発行する唯一の法的権限を持っている場合、そしてそのドルがあなたからしか得られないとしたら、資金が尽きたり、破綻に追い込まれることを心配するだろうか。心配しなければならないのは通貨発行者であるあなた以外のすべての人間だ。これが連邦政府と家庭・企業との最大の違いである。州政府や地方政府も私たちと立場は同じで、通貨発行権を持たない通貨の利用者だ。

 財政赤字を問題視するタカ派は、所謂「国の借金」(national debt)はいつかは返済されなければならず、将来の国民の負担となることを信じ込ませようとする。そもそも「国の借金」と呼ぶこと自体が大きな問題である。実際には、政府は利子付のドルでその支払いの一部を行っているに過ぎない。つまり「米国債」のことなのだが、遺憾ながら人々はこの金融商品のストック全体を「国の借金」と呼んでいるのだ。そして「借金」(debt)という言葉は、人々にあらゆるたぐいの無用な不安を掻き立てる。自分たちのクレジットカードの借金、自動車の支払い、学生ローンや住宅ローン等を連想させるため、人々は国が「借金」漬けであることは当然悪であると考えてしまうのである。

 もちろん財政赤字に制約は存在する。現代貨幣理論(MMT)のプロジェクトを一言で説明するなら、それは「収入」という作り物の制約を「インフレ」という真の制約に置き換えることだ。厳密な財政的制約があるのではなく、支出の影響で生じるインフレこそが制約なのであり、この視点がMMTの核心である。さらに言えば、MMTほど真剣にインフレを扱っているマクロ経済学の学派はない。またインフレ以外にも、自然資源の制約が存在する。化石燃料等を抽出できるからといって、資源を汚染してもいいということではない。MMTが無制限の支出を主張しているというのは誤りである。 MMTの本質は真の制約を特定することであって、お金が足りなくなったり、財政赤字自体が増えることを恐れる必要がないということだ。

 今日、日常を取り戻せという声も聞かれるが、パンデミック前の「日常」はどのような暮らしだったか。崩壊寸前のインフラ、8700万人の健康保険に未加入もしくは保険が不十分な人々、4000万人の貧困層、汚染された危険な飲料水等の問題に溢れていたではないか。これらこそ深刻な「赤字」なのであり「不足」なのである。

 私はレイやモズラーの理論に出会い、政府はまず初めに支出を行い、次に課税や借入を行うという事実、そして税収は支出に使われていないという事実を知った。確かにMMTに依拠せずとも、既存のマクロ経済学から財政赤字の拡大をすべきであるという結論には至るだろう。しかし、より厳密な話になると事情は変わってくる。例えばMMT論者はユーロが導入される何年も前に、共通通貨による主権通貨の放棄はデフォルト・リスクを生み、債務危機の危険が高まると警告した。主流派の経済学者ポール・クルーグマンのモデルは、政府の借入制限を分析する際に通貨制度の重要性を説明していなかったため、危機の到来を予期することができなかったのである。

 クリントン政権期には、MMT論者は財政黒字は持続不可能であり、減税は財政上のリスクになり得ないと批判したのに対し、クルーグマンは財政赤字が金利を押し上げ、米国がギリシャのようになると主張した。ところが彼は、日本が世界で最大の公的債務を抱えながら超低金利で借入できているのに対し、イタリアが日本よりずっと少ない債務にも関わらず5倍の金利に直面している事実を知り困惑した。MMTerには自明の話だが、要するに前者は主権通貨で借入を行うのに対し、後者は自国で発行できない通貨で返済をしなければならないからだ。後にクルーグマンは通貨体制に言及し、徐々にMMTの要素を取り入れるようになった。私たちが10年も前にいた位置に彼も近づきつつある。

 一方、もう一人の経済学者ラリー・サマーズは、トランプの減税が可決すれば、米国はわずかの予算でやり繰りすることになり、軍事危機や次の不況に対応することはできないと警告した。だが今の状況を見るがいい。コロナ禍が発生してすぐに、経済を支えるため何兆ドルもの財政赤字を増やせたではないか。過去の赤字が現在(または将来)の支出能力を制約する、という考えは単純に誤りだったのだ。

 私がこの新著『The Deficit Myth』を書いた目的は、何が可能で何が限界であるのかをより深く理解することによって、市民に力を与えることである。国民に対して正直に訴え、投票箱を通じて政治家にしっかりと責任を負わせようではないか。(以上、抄訳まで。)

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