ちゃんと帰る場所になってた
昨日も記していたのですが、全ての行程終えて
「はやくおうちに帰りたいー!」って思ったときに
自分は神戸を帰る場所としているくらいには
居心地良さを感じているのだなと新幹線の中で
思ってました。
というか、なんやかんやサイコーですよね
自分のお布団って。
むしろただ単にいま神戸に自分のお布団があるから
なのであってこれがちがう土地に自分のお布団が
あれば「帰る場所」になる訳であってつまりは
早くおうちに帰りたい=おうちのお布団に帰りたい
私の人生はお布団ありき?
むしろほんとにどんだけ眠るの大好きなの?
前世は眠り姫なの?ただ寝汚いの?
あ〜否定できない〜でも否定する気にもなれない〜
そんな自分がキライじゃない〜。
パニック発作持ちの私にとって「寝不足」は
発作の引き金になる可能性があるのでバタバタの日々に
ちょっと大丈夫かしらアタィ・・・と予期不安もあったのですが
とにかく全力だったし余計な不安がよぎる隙間も
なかった故に不要な思考が働くこともなく
まっすぐ歩いていけたので発作も知恵熱も
起こすことなく過ごせてました。
なんなら日々のセラピーでいろいろと表現をする場もあったので
「発作」という形で私の中に溜まったエネルギーを発散するのではなく
「私が表現したい形」としてエネルギーを使えていたから肉体で表現せずにすみました。
「今の私どこまでできるかなチャレンジ」は
想像以上にエネルギッシュでした。
実は勝手に生きることを諦めていたり
肉体の限界をつくっていた自分だったのですが
まだやれるのか?
やれることがあるのか?
やっていいのか?
いっそやりたいのか?
なんて生きることを肯定する自分がようやく
再燃するような気配と力を取り戻し始めています。
だからこその眠り姫タイムが必要な体質?笑
出張のラスト2日間はオンラインで受けている
学校のスクーリング授業があったのですが、
そこで先生に
「私自身に生命力や肉体の諦めのようなものがある」とポロッと話してしまい、
「そんなエネルギッシュな雰囲気出して何を言ってるの!?」なんて驚かれてしまいました。
思っている事とやっている事の矛盾とギャップ。
私が思いこんでいる・思いこみたい姿と
まわりがみている・みえている姿。
二極の世界に生きるからこその反動。
どれも本当だし本音だし事実だし私だし。
でもこんなこといいながらさ、
きっとこの肉体のリミットを宣告されたら
まちがいなく私は諦めより
先生のいう「エネルギッシュ」を選択すると思う。
それがもうわかっているのだから
リミットが強制的に決まる前に
おもしろおかしく、興味をそそられる方へ
炎を絶やさず進んでいきたいものです。
何の誰の目も声も気にすることなく、臆することなく。
大体にしてまわりの騒音とは良いも悪いも
自分の中で発している世界が具現化しただけ。
心配しなくていいよ、これはちゃんと私の人生だ。