白鷺ゆっきー氏(と、同人絵師参画)製作の 「音降る幻想郷」 と、作者の音楽ルーツを読んでみて




感想と言うか、雑感です。

第一に、とにかく長文ですが非常に興味深い内容。
これを言わんとする要素を物語化(音楽化も?)しても充分、筋の通ったものが出来上がりうる、ような気もします。

欧米ポピュラー、確かに「メジャーだぜ」という火力だけで罷り通ってる・・・てのはありますね。
そんなのより話に出た東方萃夢想のほうが断然神曲(たぶん、神主もぐぬぬ、と思ったかも知れない)なのは激しく同意で、某サークルの出した緋萃のシンフォ・・・おっと誰か来たようだ。^^;

と、まあ、商業的テコ入れ無しで、なぜ東方同人文化がここまで隆興してるのか?そうでありながら世のビジネスモデル大好きオジサン達はなんでガン無視するのか?「現実を見ろ?は?篤と見ろよ!」って言いたいですねぇ。
東方が日本全体からすれば知名度の低いオタク文化だと?いやいや、SMAPは滅び、TOKIOが空中分解し、AKBなどボカロ曲を利用しただけじゃないか。あれらも音楽事務所か何かが「ビジネスモデル」とやらを考えてやってたでしょうに。

そう・・・他人が受け入れるかどうか、受け入れる物を作らないといけない。それが、それ一辺倒なのが、商業音楽。
若者世代で演歌を聴くのは1割以下で、アンチポピュラー。それだけ揃った音楽家って、稀有な存在。稀有とは、即ち貴重である、ということ。

同人創作は感情の吐露(特にSNSが生まれる以前の同人創作は、その特色が濃い)であり、あるいは世のオジサンへの反骨で「自分はこうだ」という礎を構築する・・・言うなれば孫子「敵を知り、己を知る」にも通じるものがある。
だからこそ、同人の中にこそ優れた作品が存在し、今なお語られ生き続けるのです。

同人作品ではないですが「大神」ってゲームがあります。
その表現性の斜め上すぎるが為に、当時はまったく見向きもされなった。がしかし、今は「泣ける神ゲー」として評価されたりもしています。
「ウケる」ってのは目的じゃなくて、後からやってくる副産物。
ウケる事を糧にしてしまうと、早晩エネルギー不足になる事は、自分も小説書いてみて全然PVも無くウケなくて、「ああ、褒められるのをエネルギー源にしたらもたない。」 と痛感したものです。
やっぱり幻想郷に惚れ、藍様に惚れる、それこそを、純粋にエネルギーにしなきゃ、と思ったりも。(何の話です?)

幻想方々記 第一章「浮世」
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14942764

まあこれも小学生の頃から池波正太郎や吉川英治を読み耽ってたという人生歩んだ結果、こういう現代小説からはまるで逸脱したモノになった、のかも知れない。
ちなみに「宮本武蔵」は、何とあれで戦前の作品だし、「真田太平記」なんて、今思えば結構なエログロシーンも。あんなの小学生が読んでいいのか?

それでもやはり、おのれの書いた話は特に冒頭が粗々、まだまだローカルでいじり直し中だけど。いや、ちゃんと続編も書きますよ。そのために伏線張りまくったんだもん。

話は脱線しましたが・・・

「音降る幻想郷」は、たしかに今までの旅情的(私は演歌というより、土着の民謡的要素が詰まっているのが懐かしくて、そこから来る旅情的な味わいが好きなのです)からは若干離れた、これは作者は多ジャンル化に踏み出そうとしてるのでは?という作品でした。
つまり、絵のインスピレーションをうまく利用して、多彩な音楽シーンを創出しようという商業的にいう「クロスメディア」という手法です。同人というかニコニコ動画を見れば言わずもがな、当たり前な話なのですが。
そういえば、前作「やまとごはん」なんて完全にジブリですやん・・・^^; って感じでした。それも実は、ちょっと寂しいというか、いや、久石譲も大変素晴らしいんだけど。

やっぱり稀有な、今まで一度も世に出たことの無い作品が見たい聴きたい、というのはあります。
そういうのは必ず後々で評価されます。大神のように、あるいは初期の宮崎アニメだって、はじめはそうだったような気も。

そう・・・問題は、何をエネルギー源にするか、という事ですね。
そもそもエネルギーが無いときは、没入から離れて色々と俯瞰・吸収するターンなのかな、という。
これまた宮本武蔵の五輪書にある「景気を知れ」ってのかも知れません。

さて、そろそろ残業砲&土曜出勤も、敵の弾切れで収まりがつく頃。動き出さねば。
東京とは、応仁の乱レベルの戦場なのです・・・。


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