推し

芸能人やキャラクターの熱烈なファンのことを「オタク(ヲタク)」と呼ぶが、ここ10年近くで「〇〇推し」という言葉が広がってきた。
 
この言葉のおかげで、侮蔑の視線を受けてきたファン達が少しずつ声を出すことができるようになってきた気がする。

 好きなものを好きと言う時のヒトの顔はめちゃくちゃ面白いし楽しい。最高に幸せな気分になる。

 ただ、まだ推しという言葉を聴くと、「推しのサービスに問答無用に金を貢ぐ」みたいなニュアンスが一般的な気がする。
声高らかに推しを発信するツイッタラーやインスタグラマーがいるからだろうか。

「ファンなるもの、推しの全てを応援して押し上げる。」

みたいな幻想が界隈には浸透しているようだ。

僕にも「推し」と呼べる存在はいる。
おそらく熱烈なファンと同レベル程度に推しを不意にテレビで見かけるとテンションが上がっている。

でも性格の悪い僕はツイッターとインスタを見て「お前それただの広告じゃねぇか」と小声で言い、少し遠くからフッと笑っている。

自分の場合、「この人面白れぇなぁ、興味が止まらんなぁ」という人がまず現れ、そこから掘った先でもまだ面白い人が「推し」になる。

だから、自分の「推し活」は、「なんか人間が見えるような面白い吐露がありそう」というコンテンツのみに金を払う。つまり、消費者の身勝手の極みを突き進んでいる。

金払い悪いくせにヒトのことをジロジロ遠くから見る性格の悪い人。

文字起こししたら気持ち悪くて仕方なくなってきた。

今日もそんな一面を持ちながら推しを見て、アスのカツリョクを貰っている。

 

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