野暮

 乃木坂46の31stシングル、「ここにはないもの」のミュージックビデオが公開されました。
 センターで踊るのは今作で卒業する齋藤飛鳥さん。(余談ですが、推しの1人です)

ここでは、個人的なこの曲の歌詞・MV・音楽について感想程度のものを書き残そうと思います。

 まず、初めに曲ありきということで音楽を。
どちらの季節かといえば冬、クリスマスを連想させるサビの半音進行、それに合ったメロディラインが構成されていて、落ち着きながらも清楚、流麗な印象を与えます。
 「寂」「孤独」「決意」のようなものを音からは感じました。齋藤飛鳥の乃木坂46からの卒業ということで、ここは予想を裏切らないものでした。

 メタですが、おそらくここから歌詞を書いていったと思われます。
 アイドル齋藤飛鳥の横顔をなぞりつつ、僕と君が時々倒錯することで、「別れ」に対して「別れる者」「別れられる者」にそれぞれに起こる感情はそう遠くないことを詠っています。
 ここに少し親近感が湧きました。グループを離れる人には多くの場合「決意」があり、寂しさは残される者の方が強く表れると思われがちだったところ、「決意」とは「強がり」でもあるということで、そこには両者とも「寂しさ」がある。ここに「たしかになぁ」と思わされました。
 これはメンバー同士だけではなく、「僕」と「君」の対象を変えると私たち消費者もその寂しさの一端にいるという意味で、別れには避けることのできない「寂しさ」だということを示していると思っています。
 
 MVについて、服飾の世界に生きる主人公を軸に「葛藤と新たな一歩目」を描きます。
 どこか思ったことと違う人生。自らの羽を伸ばすように服を生み出すことを本来の思いとして抱えながら、現実と理想の小さな乖離に仕方ないと自分に言い聞かせて現実を生きている姿が描かれています。
 その夢を知った仲間が心を動かされ、主人公の理想の後押しをして現実になる。
 そこにある優しさや心の存在に気付き、勇気をもらった主人公が1人で自ら飛び立ち、羽ばたく。

 「服」というテーマは「いっぱい装飾したり、殻に閉じこもったり、そういう事しか思いつかなかった」と齋藤飛鳥本人が述べるように、彼女の日常の一コマから発想を得たと思われます。

 今回のMVで思ったのは、齋藤飛鳥本人は齋藤飛鳥ではなく周りのメンバーを、周りのメンバーは全員齋藤飛鳥を演じていたのではないか、ということです。

 「とにかく私は逐一ファンの人に『変化を受け入れてください』と言う役目をやっていた気がして、勝手にですけど...」
 「送り出していただくというよりは、 最後にみんなが楽しくやっているところを見せてほしい」と述べています。

 時代の移り変わりの中で最年少の1期生、1期生なのに次世代と言われた者、そして世代が変わる不可逆な運命の中で新たに生まれた者の居場所を潰さないで作ろうと奔走したこと。

 これは紛れもなく、「夢を支える立場の人間」であったという証明です。
 現実(と思われるもの)と空想の世界の逆転に、ある種の浮遊感、白昼夢のような煌びやかさを感じ、そのおかげでセンター以外のメンバーの演技もよく立つ脚本なのではないかとも思いました。

 総合して、僕は「齋藤飛鳥という人間はどこまでも人を支えることを人生の芯にしている」ということを感じ、慈しみの深さに想いを馳せました。
 
 「最悪な時期も、ちゃんとありました。
 焦ってもがいていた時間、決して短くはなかったと思います。」
と、本人が述べるように、おそらく信じられないほど多くの感情が渦巻いた経験、そして内面と感性の森に迷い込んだ時期があったのでしょう。それは想像を絶する、地獄のような苦しみだったのかもしれません。

 僕はどうやら、「地獄の存在を悟ったその上で近くの人間を前へと進める、導く力がある人」に憧れがあるようです。
 目つき、言葉、立ち振る舞いのその節々に芯、信条が表れます。とてもかっこいい。

 そんな人間になる過程を飛鳥ちゃんは見せてくれたような気がします。

 すいません、最後は推しをただ推してるだけになりました。1つしか年齢が変わらない彼女のような大人に僕もなれるよう頑張ります。

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