最初につくった仮のアウトラインどおりに文章をかき終えられない理由 その2
(さきの記事のつづきです)
もうひとつ、最初につくった仮のアウトラインどおりに、本文をかき終えることがむつかしい理由は、「うちあわせCast 67回」でTak.さんが説明していたとおり、文章には意味、論理の流れがあるので、それに沿ってかきつづけると仮のアウトラインにおさまらない文章が育つことも、少なくありません。
これが新しい発見につながるのもよくあることだと、ぼくは考えています。多くの人が、文章をかくことによって考えることができるというのも、この現象をさしていると予想しています。
そして、このプロセスがあるからこそ、アウトラインと本文を仮想的に行き来しながら変化させる〈シェイク〉が大切な役割を果たし、ありきたりの文章ではない、その著者ならではの生きた文章が生まれるのです。
(余談ですが、クラスによる抽象データ型オブジェクト指向プログラミングをつかって、オブジェクトどうしの相互作用から相乗的に予期せぬプログラムのふるまいをみつける研究も、これと似た現象に注目していると考えています)
まとめます。
大きな文章をかくとき、それが最初の仮のアウトラインどおりにならないのは、(1) 大きな文章の複雑な論理の流れの厳密さをテストするには、本文をかいてみないとできないことが多いから、そして (2) 本文をかいてみると著者も気づいていなかった新しい論理の流れを見つけられることも多いから、の2つの原因でおこると、予想しています。
(もうひとつ、気になるものがあるのですが、それはまた別の機会に)
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文章のかき方ですが、ぼくはまずフリーライティングで本文のようなものをかき出し、それをもとにアウトラインを見つけることもありますし、仮のアウトラインでラフスケッチしておいて、それに沿ってかきやすいところから本文をかき出しつつアウトラインと本文を変化させるかき方も、よく行ないます。
依頼原稿(タイトルや大きなテーマが決まっている)場合や、勉強中のテーマ(つまり自分がしっている情報が十分でなく、追加で勉強しながら執筆する場合もある)の原稿では、後者の方がうまく行くことが多いように思います。
とくにレビュー(情報収集とその按配)がしっかりできていないテーマについては、フリーライティングしても、何だかへなちょこな本文しかかけず、それをいくら按配しても、やっぱりへなちょこなままのことが多くなります。
どちらにしても、最初にデザインしたアウトラインがそのまま最後の形まで残ることは少なく(ゼロではありません)、大きな意味での〈シェイク〉をとおして、文章をかき進めることになります。
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