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書評:すべてはノートからはじまる

倉下忠憲さんは、ぼくからみると、うらやましい自由の人。真面目に自由によみ、真面目に自由に考え、真面目に自由にかく人。

仕事が速くて、かくのはもっと速くて、二千字くらいはあっというまにかいてしまう。本をよむのも速くて、ぼくの100倍くらいの冊数をよんでいる(予想)。

「知的生産の技術」と、かくこと、とくに本のような大きな文章をかくことに関係する方法や技術、ツールといったテーマとその周辺にとどまっているようで、実は広い範囲を動き回り、でもそうしながら彼ならではのコダワリを感じることも多い。

自分にとって大切と思うテーマとその周辺を何度も走りまわり、かいては考え、考えてはかいているように見える。

(ぼくがいうまでもないけど)梅棹忠夫さんが大好きで、とくに『知的生産の技術』という小さな本を、まちがいなく10回や20回ではきかない回数よみ返しては、熟考をくりかえしているだろう。

すべてはノートからはじまる』は、そういう倉下忠憲さんが、彼と「知的生産」の日々をまとめあげた集大成である。ぼくはそう感じた。

本書の魅力のひとつは、著者の熱い気もちが伝わってくるような文章。その熱さが、倉下さんならでは筆力で、よみやすい文章に仕上げられている。

この本はノート術(=記録術)の本ではない、という人も多い。でもぼくはこの本を、ノート術の本だと考えている。

たとえば4章と5章、考えるためにかくノートと読むためにかくノートの章では、具体的なノート術が、分かりやすく解説されている。考えるとはどういう作業で、そのためにどんなサポートが必要か、読むためにはどんな心構えや意識をもって、どんな形のかくがどんな風に役立つのかが、納得できるカタチで。

あるいは6章、他の人に伝えるためにかくノートの章では、倉下さんがコンビニ店長をやっていた時代に編み出したコツというか小さな工夫が、いくつも紹介されている。

ぼくは、そうした小さなコツの組み合わせが、決して小さくない機能を果たすことを、リアルに感じた。こんな店長と仕事をしたら、そのスタッフたちもきっと、コンビニの仕事を好きになったろうと勝手に想像している。

でも、もっと大切なのは、本書がそうしたノートのとり方のコツを伝えるためだけにかかれた本ではない、という点である。

ノートをとるという営みの役割を、人類がペンのようなかく道具と粘土板や紙のような携帯と保存可能なかかれる道具を発明してから、延々とつづけられてきた営みの役割を、大きな視点から整理し、その価値を多くの人に伝えたいという、熱いメッセージが込められている。

それはどんなメッセージなのか。以下はぼくのノートから。

ノートを日々とりつづけたことのない人たちへ。あなたたちには、ノートをとることが、授業中先生にいわれたとおり、黒板を写すためのものだけはないことに、気づいてほしい。ノートをとるとは、日々のあなたの生活の記録をとること、そして、記録をもとに考えるきっかけをもつことだと知ってほしい。

「記録の大切さは分かってますよ〜」という記録好き、日記好きの人たちへ。日々の記録をとるプロセス、とった記録をよみなおすプロセスが、かきながら考えるというスタイルにどう繋がるか、その仕組みをを知ってほしい。そのアプローチとして、「思う」と「考える」を分けて解説しよう。

「かきながら考えてるぜよ!」という人たちへ。そんなあなたには、もうひと押し、たとえば本がノートだと考えたらどうだろう。本は著者にとってのノートのひとつのカタチであり、その本をよみながらあなたがノートをとることで、著者がたどりついたアイディアや、苦労して得た経験をスタートにして、その先を考えることができるんですよ、すごいでしょ。たとえばそんなことを、読書好きのあなたにも、知ってほしい。

「そうだよね。そんなことを意識しながら私も日々ノートとってます」という人たちへ。あなたと語り合いたいのは、ここにかいてきたような「不真面目?な」ノートとの日々を過ごすことで、自分の生活の未来がみえてくる場合もあること。もちろん、ここまでよんだ人、ずっとノートをとっている人は気づいているだろうけど、未来は予測できない。でも、自分のことばで、自分という土台の上から、自分の未来の日々をリアルに眺めることはできる.. かもしれない。

ノートにかく。それを保管し、かいたことを読みなおしたりしながらノート活動をつづける。それは、ぼくたちの生活の「生産」につながる。

この「生産」は、お金を効率よく儲けられるとか、仕事を速く進められるとか、仕事で成功できるとか、そんなチンケなこと(ごめんなさい)ではない。

ノートとの日々をとおして「生産」されるものは、もっとでっかくて細やかなものである。日々の生活の豊かさと呼べばいいだろうか。

そしてこの「生産」こそ、たぶん倉下さんが大好きな梅棹忠夫さんが「知的生産」とよんだプロセスに近いはず。

ノートをとるという営みのある日々を送る価値についてかかれた、この熱い本は、ノート術の本であるけれど、ノート術の本ではないかもしれない。

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