見出し画像

凡人として生きるために、そして非凡であることが幸福の必要要件だと勘違いしている君へ

えとみほさんのブログを読んでた。

主旨としては

・凡人である自分がいやだった
・でも凡人(≒大衆的な感覚)だからこそマーケティングで活かせるメリットもあることに気がついた
・ただそれだけじゃだめで凡人なりにたくさん行動しようぜ!みんなしないから

という内容。非常に共感できる記事だった。

私も、大衆に広くおもしろいものを受け入れてもらうためには、「大衆的な感覚を持ちながらも非凡に考えられる」ハイブリットな思想や感覚であることが重要であると考えていて、この記事の「凡人(≒大衆的な感覚)だからこそマーケなどで活かせるメリットもある」という考え通ずる内容だったからだ。

「凡か非凡か」みたいな二元論ではなく、凡人に生まれてしまった!さあどうハイブリットに生きよう!と考える方が生産的でもあるよねと。

話はそれるが、そもそも人生最大のゴールは幸福に生きることで、多くのひとにとって凡・非凡の軸は幸福の必要要件には入ってないはずで、そんなこと悩んでも仕方がないのである。

また、非凡であることが幸福の必要要件に入っている(と思いこんでいる)ひとのほとんども、実は本質的に非凡な人間になりたいわけではなく(そもそも非凡ってそういうことじゃないし)自分のやりたいことのいくつかがたまたま非凡な行為だった、というオチではないかと。

タワーマンションに住む、海外旅行に生きまくる、仕事で大きな成果を出す、幸せな家庭を築く、芸能人と付き合う...

これらは非凡な行為ではあるけれど、自分自身が非凡な人間になる、ということとは別次元の話だよね、と。

なので、非凡でありたいといま心から願っている人も、あらためてそれと自分の幸福がどう結びついているのか、そもそも結びついてなんかいないんじゃないか、それをふまえて凡人であることを前提にどう幸福に生きるのか、というところから考え直すといいんじゃないかと。

凡か非凡か、みたいな考えても詮無いテーマで悩む暇があるくらいならさっさと手動かすか女のひとりでもナンパしてこい、と悩めるひと全員に言ってやりたい(ぜんぶブーメランなので死にたい)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?