死ぬ直前に時間の流れがゆっくりになるっていうあれ

先に弁明しておこう。ぼくが動きすぎたのではない。ステージが狭かったのだ。

東京は八重洲のアンジェロコートで開催される、東京泡盛クラブでぼくたちが演奏するのはすでに毎年の恒例行事になっていた。仲間のチェリストのお父様が泡盛を愛好し、普及する会の会長さんで、年に1回、酒造さんや関係のある方を集めてパーティを開いているのだった。

思い返せば、前日くらいからツイてないといえば、ツイていなかった。パーティでの演奏なので演奏する曲は格式ばったクラシックではなく、映画の主題歌や、泡盛ゆかりで沖縄の曲だったり、ともあれ、たくさんのさらい(練習すること)を要求されることは、これまであまりなかった。

ところが、今年の楽譜は、少なくとも初見(事前に練習せずに演奏すること)は叶わず、多少の技巧も求められる譜面面(ふめんづら)だったので、ぼくは本番の前の日、あわてて近所の個人スタジオにかけこんだ。個人経営で、時間あたりの単価も安く、かつ部屋も狭くないので、越してきて以来、愛用しているスタジオだった。

演奏する予定の何曲かのうち、特に難しいものを選んで集中的にさらっていたところ、(長い間変えていなかったので警戒しなければいけなかったのだが、)A線(ヴァイオリンの、向って右から二番目の弦である)がほつれてしまった。

しまった、今来たか、と思い、スペア(ちゃんとしたヴァイオリン・プレーヤはいつ何時弦がおしゃかになってもいいように、予備の弦をストックしているのだ)を取り出そうと楽器ケースに手を伸ばした。ところが、いつもスペアを入れているスペースにそれがない。やや、おかしいな、と思った。つい先日、ワンセット補充したつもりだったのだが。

結局、赤いハードケースをいくらひっくり返しても変えの弦は見つからなかった(ちゃんとしていなかったわけだ)。なにかを勘違いしていたのだろう。しかし困った。明日は仕事で弦を買いに行く時間はないし、よしんば変えられたとしても、弦は変えてからしばらく弾きこまなければなじまない。

翌日、上司に頼み込んで、予定より早めに退社させてもらうことにした。そして、渋谷にある行きつけの楽器屋さんに文字通り駆け込み寺のごとく、泣きついた。ぼくは本番の直前に楽器トラブルが発生することがとても多く、そのたびにお世話になっている、そういう意味でとても信頼している楽器屋さんだ。

事前に一報入れ、ぼくが愛用しているエヴァ・ピラッツィゴールドという弦 ―音が張りすぎてオーケストラには向かないとも言われたりするのだが、まあ、ともかく― を用意しておいてもらい、夕方取りに行った。その楽器屋さんはスタジオも併設されているので、その場で弦を張替えると、せめてもの努力として、馴染ませるために時間ぎりぎりまで目一杯さらった。

18時にはアンジェロコートに集合する約束になっていた。ぼくは銀座線に乗りこみ、京橋駅で仲間のヴァイオリニストと落ち合った。本番で演奏するまでに、少しだけ皆で合わせる時間があることになっていた。

悪あがきをしたおかげか、リハーサルは順調に進んだように思えた。特に難しいと思っていた「アナと雪の女王」のテーマソングも、そつなく演奏することができた。ところが、不運は立て続けに起きるもので、次の曲を演奏している時、突然弓の毛の部分がばらけてしまった。一瞬、時が止まったが、すぐに状況を理解した。弓の持ち手の部分(フロッグと呼ばれる)の、ネジがゆるんで外れてしまったのだ。

何回か矯正を試みたが、ネジがばかになっているようで、だめだった。また楽器屋さんに行く理由ができてしまった。幸いにして、ぼくは弓を2本持っていたので、すぐにとりかえてリハーサルは続行された。

話は変わるが、ぼくは演奏する時によく身体を動かすほうだと思う。実をいうと、小さい頃、レッスンなどを受けていた時はむしろ「不動」であることに定評があったのだが、とある尊敬する(とある、などという言葉では到底片付けられない、ぼくの人生に重大な影響を与えてくれた方だが、そのことはまたどこかで改めたい)アマチュア・ヴァイオリストが、まさしく音楽を「体現する」かのように演奏されるのを観て、憧れ、影響され、自分も全身で演奏するようになったのだった。

あるいはプロの方から見れば、それは無駄なことかもしれなかった。身体を動かすことは、楽器に効果的に力を加えることに向かず、むしろ逃してしまうこともあり、非効率であると。それでも、ぼくは「聴く」ではなく「観る」パフォーマンスをやっているのだ、と、そのスタイルをいたく気に入っていた。

とにかく、ぼくは演奏中によく身体を動かすほうだった。

パーティ会場のステージとしてしつらえられた演壇は、弦楽四重奏をするには少しばかり狭かった。弦楽四重奏をやる時は、二人のヴァイオリンとヴィオラ、チェロが、だいたいUの字になるのが理想だが、ほとんど正方形だったその演壇の上では、4人全員が向かい合うかのような並びでしか演奏できなかった。繰り返そう。とにかく狭かったのだ。

悲劇は、米津玄師のlemonを弾いている時におきた。有名な曲なのでみんな知っていると思うが、ぼくはポップスにはてんで疎いので、今回演奏するためにわざわざ勉強をした。少し切ない曲だったが、ぼくは一耳で気に入り、練習にも熱が入った。

演奏中のぼくのムーブメントと、その曲を好きかどうかには明確に相関がある。lemonは今回のセットリストのなかで、一番のお気に入りだった。

ところで、ぼくは座って演奏する時、おしりと椅子の接地面積が極端に少ない。背もたれのほうまで腰を入れることはほぼなく、本当にせいぜい、右上8分の1くらいしか置かないようにしている。そのほうが、身体のバネを使って演奏しやすいのだ。

話を戻そう。lemonはいつしかサビに突入し、ぼくの演奏の熱量もいっそう増えた。ぼくは、おしりと腰の自由度を高めようと、椅子を後ろに押し出した。比較的、演奏中であってもぼくがよくやることだった。ふつう、椅子が置かれる場所はどこまで行っても水平で、椅子を下げたからといってなにか不都合が起こることはないのだ。そう、ふつうだったら。

ぼくはその時演壇の上で演奏していた。

力学的には、最低でも3点で支えなければ上に乗ったモノは安定しない。ぼくは均等に椅子をさげたので、後ろ足の2本は、行き場を失った。

そこからの時間の流れは、ほとんど永遠にも感じられた。「あ、倒れる」と思ってから、時間にしては2秒もなかったはずだったが、ぼくは、やばい、楽器を守らなくちゃ、頭を打たないようにしなきゃ、みんなどう思うだろうか、笑ってちゃんと無事を示さなくちゃ、取るべきリアクションは…実に様々な思いが駆け巡った。

がしゃん。まだ開場前で人の少ないパーティ会場に、ぼくの崩れ落ちる音はひときわ大きく響いた。一緒に弾いている仲間だけでなく、準備のために慌ただしくうごいていたスタッフや酒造さん、すべての注目が一点に集まった。

みなが駆け寄ってきた。2秒の間に十分にシミュレートしていたので、冷静に対応することができた。まずは楽器の無事を確認し、身体の打ちどころも悪くない。穴があったら入りたかったが、大丈夫です、と笑顔で言うこともできた。演奏仲間は大笑いしてくれていた。

指揮者ならまだしも(?)、演奏者でステージから転がり落ちたことのあるヴァイオリストなんて、全国津々浦々探しても自分しかいないのではないのだろうか。

ああそれにしても、本番じゃなくてリハーサルでの出来事で本当に本当によかった! みなさんも、演壇の上で演奏する際は、お足元に十分、お気をつけくださいね。

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