大学職員は楽で高給? when my young〜若き日のぼく②

こうして、ぼくの学務係での新生活が幕を開けた。

そこは、とある学部のごく一部分を担当する、こじんまりとした部署だった。キャンパス自体、山の上に鎮座しており、コンビニに行って食糧を調達することすら一苦労な、まさしく僻地であった。

学務の仕事は、大まかに入試と教務の二つにわけられた。入試は想像しやすいかもしれないが、教務というのは、たとえば学生さんの時間割を組んだり、シラバスを作ったり、履修状況や単位取得状況、成績を管理するなど、およそ「教」育に関するあらゆる業「務」を行うものだった。ぼくはどちらかというと教務をメインで担当していた。

小さな部局だったので、事務作業だけでなく窓口業務も同時に行った。窓口には色々な理由で学生さんがやってくる。履修登録をし忘れた、成績を確認したい、新歓でビラを配りたい、レポートの提出が遅れてしまったどうしよう、自分は追試の対象か? 卒業できないかもしれない助けてくれ・・・! 毎日いろんなことが起きた。ぼくは学生さんとのカウンターごしの応対が好きだった。

先生方ともよくやりとりをした。カリキュラムを変更するにはどうしたらよいか、シラバスのwebシステムの使い方がわからない、学生さんに通知を送りたい・・・教務において先生との会話は頻繁にあった。もちろん会計の時から先生に連絡することはあったが、ほとんどが事務的な内容だったのに対して、こちらは中身に関わる相談や議論もさせてもらえた。顔を突き合わせてお話することも多かった。楽しかった。

いつしかぼくは学生さんの顔と名前を覚えていた。決して大きくない学部で、一学年あたりの人数もたった数十人だったため、それは容易なことだった。就職が決まったり、試験に受かったという報せを聞くと、とても嬉しかった。学位授与式にも出た。特になにか教えたわけでもなく、言うなれば「見守っていた」だけなのだが、学生さんが巣立っていくのを見ると、思わず感慨にふけってしまうこともあった。

この仕事は、天職にも思えた。

しかし、楽しい業務とは裏腹に、実のところ学務での生活は諸手を挙げて喜べることばかりではなかった。むしろ、ぼくを悩ませる要素・・・ストレスのほうが圧倒的に大きかった。

それは、周囲の環境であった。

もともと自分自身ヴァイオリンを弾きたいがために大学職員を選んでおいて手前勝手な話ではあるが、趣味を続けたいことと、業務時間中に最善を尽くすことは、僕の中で背反しなかった。学生さんや先生のためにできることがあるなら惜しまず努力すべきだと思っていた。しかし、悲しきかな、周囲は必ずしもそうではなかったのである。

学務に行くのはワケありの人―それが本当かどうかは定かではないが、ぼくが同僚に馴染めなかったのだけは確かだ。良い人もいた。優しい人もいた。しかし、それを補ってあまりある、「ネガティブ」な人に囲まれてしまったのだ。彼らは、とにかく仕事を嫌がったし、不平不満を漏らすことを躊躇わなかった。学生さんにも横柄に接したし、先生に物を頼まれると必ず不機嫌そうな顔をした。ぼくはそれにどうしても耐えることができなかった。仕事なんて嫌でもいいけど、大人なら態度に出すなよ。ぼくはあの時、本人に面と向かって言ってしまわないギリギリのところに立っていたと思う。

このことは、ぼくの心を大きく揺るがした。業務内容は楽しい。丁寧な仕事を心がけるうちに、いつしか、先生や学生さんからも、信頼してもらえているのを感じ、自分は間違っていないとも思った。しかし、問題はそこではなく、「彼ら」はこの組織のいたるところにいる、ということに気づいてしまったことにあった。ここではたらくうちは、彼らからは逃げられない。そして、学務の仕事は好きだが、カウンターに立たせてもらえるのは若いうちだけだ。次はないかもしれない。ここに居続けて良いのだろうか。ぼくはいつしか帰りの電車で転職サイトを眺めるようになっていた。

この頃は、時間だけはたくさんあったので、オーケストラにも室内楽にもより一層熱中していた。振り返れば、いちばんたくさん演奏会をやっていた時期かもしれない。ただそれは、仕事での迷いをぶつける先が、音楽しかなかったというだけのことかもしれなかった。

出向の話が出たのは、年が明けてすぐ、センター試験を間近に控えた、いちばん寒さのきつい時期だった。

務めていた大学は、関係機関がいくつかあったので、出向はよくあることだった。事務長さんにあらたまって呼び出されてその話を切り出された時は、正直に嬉しかった。行きたいと思っていた関係機関だったからである。そこでは、先生や学生さんのために、直接的な仕事はできないかもしれないが、巡り巡って役に立つことができるかもしれない。それに、ぼくは環境を変えて、外の空気を吸いたかった。二つ返事で、承諾した。

それにしても、そう長くもない職業人生だが、この2年間を上回る体験はもうできないだろうな、と思う。あの年齢で、あの立場で、あの気持ちだからできたことなのだ。今の自分がもう一度カウンターに立っても、たぶん、同じことはできないのだろう。ふとした時にぼくは学務のことを思い出し、ちょっぴりセンチメンタルになるのだった。

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