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修士2年間の学びは、もっと動物的に生きること

どうもどうも齊前です。写真は登山シリーズでいつかの雪山。多分、琵琶湖当たりの山。伊吹山かな?確実にタイトルに引っ張られている写真をチョイスしてしまった。。

さて、今日は修士の2年間で学んだ事です。これを書こうと思ったのは、昨日、同じようなキャリアを歩んできた後輩(といっても、知人から紹介された人程度の関係性)が大学院に進学するとのことで、懐かしい気分になったことと、前回のタイトルが山川先生と丸被りしていることに気付き(ほんとびっくりです。)、その瞬間に色々思い出したという経緯。それは、先日、山川先生とお話させていただいた時、修士2年間での学びは看護学以外の視点から看護を視る視点を得たことと回答したことに少しばかりの違和感を感じたからです。勿論、その言葉に偽りなしなのですが、もっと根本的な所をを言語化できていなかったなと思い書きます。

それがタイトルのもっと動物的に生きるということ。具体的に書くと自分の時間を再構築する機会を得たという事です。
一応、僕は社会人を数年した後大学院に進学しています。今やあんまり大学に行っていないけど社会人時代は皆勤賞でした(適応障害ではないことのアピール)。それが、学生という肩書になって自分の時間を再構築する機会と選択肢を得た。僕にとってはそれが何よりの財産だったなと思います。

社会人時代は楽しかったです。ほんとうに。夜勤中も体位ドレナージを行い、朝の血液ガス値とレントゲンをみて改善していることにある種の快感を覚えたり、眠れないという人の話を聞くことが好きでした。特に最後の3年間はやや管理側にもいたので心理的安全性を有したチーミングがもたらす効果をまじまじと感じる機会でした。
ただ、キャリアの最初は心が摩耗しているなと思う時もありました。幸い僕は、2つの病院と5つの病棟を渡り合えるだけの(逆に適応能力に優れているのではないか?)メンタリティーで乗り越えましたがそうでない人もたくさん見てきたなと。
あくまでも僕の個人的な統計結果では、看護師になる人は自己肯定感が低い人が多いと思うんです。だから利他が活かさせる仕事に就く人も一定数いるのではないかと。そういう人は、自分が壊れるギリギリまで働く傾向にある気がします。でも、今だからいえるのは逃げちゃっていいし、社会が作り出した常識から外れてもっと動物的に生きたらいいんじゃないかなと思います。
予防医学の研究者でいらっしゃる石川善樹氏は、well-beingを達成するための最大要因は、適切な選択肢と自己決定であると述べておられます。ACPに通ずるなーと思いつつ、この自己決定を妨げるピアプレッシャーをいかに無視できるかが重要なんだろうなーと思います。
あと3年。入学当初からその後のことを考え続けていますが、学生になったが故に選択肢が増え悶々としている自分を認めつつ、しっかり自己決定していければなと。

なんか、思ったことをそのまま書く一筆書きスタイルだと当初描きたかったことが書けているかが不安ですが、ぼくなりの2年間の学びでした。
社会人時代の学びは、人はいつ死ぬか分からないことと、だからこそ今が大事だという事。死が非日常化している現代人ですが、医療者はそのような方々をよくみてきた。だからこそ今、その瞬間を生きるのが大事だと身に染みて感じるし、チャレンジをしている(1度しか会ったことのない)後輩を応援したいという文脈で書きました。

さて、今日は訪看の日。今日は、スタートが遅いため、朝一にスタバに来てポスターの修正をしようと思ったのにnoteを書いている自分がいる。。。これも動物的に生きているってことで!!!

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