見出し画像

ほっちのロッヂ 「感じ手 伝え手」の活動を経て

9/6~10の間、長野県軽井沢にあるほっちのロッヂで活動をしてきました!

ほっちのロッヂ http://hotch-l.com/index.html


「症状や状態、年齢じゃなくって、好きなことする仲間として、出会おう」


したこと:草むしり 読書 対話
しなかったこと:診察や訪問の見学
本活動の個人的な目的は「知覚の幅を広げること」
今回は活動を通して感じたこと、伝えたいことをシェアしようと思います。


出会い方をデザインする


「脳梗塞の〇〇さん」「1105号室の〇〇さん」
これらは院内で医療者が日常的に用いることば。そこには根本的な何かが欠落していて。
最近は、ACP(人生会議)が浸透してきたこともあり、院内でもその人を知ろう(ACPのPiece集め)という動きが認めつつある。
でも、その本質を突き詰めると気付く。出会い方からだと。


「からだ」と「こころ」、及びそれらにより社会的に困っている人は、その困りごとを解決してほしい為、医療の場に出向き、医療者と出会う。   そこで、いわゆる患者となる。
医療者は、その問題解決のためキュアとケアを提供する。
ここでは、お互いの目的達成のためにあらゆるものが排除される。

そのあらゆるものの中に、その人を構成してきた大切なものが在る。


だからこそ、医療者が医療を提供する前提を変える必要がある。
つまり、医療の場で出会うのではなく、出会い方を変える必要がある。
困っていない時から関わる仕組みを創る必要がある。


画像1


この5日間、何人かの子どもたちに「居合わせた」
最初はびくびくしていたのに、徐々に慣れ始め最終的には走り回る始末。
このプロセスの中で「ここはどこ?ここって、病院じゃなかったの?」と言っていた。
ここに集約されている気がする。


既存のものに依存せず、創り続ける


医療者の責務は、「からだ」と「こころ」、及びそれらにより社会的に困っている人に手を差し伸べること。
医療者の最大目的は、そのような人がいなくなること。
医療者に役割が与えられるのは、そのような人がいること。


これじゃ、いつまでたっても目的は達成できない。この前提をぶっ壊さなきゃ。

画像2


人は相対性、社会性、近視性、楽観性を有している生き物である。
だから、新しいものを批判したり、よくわからないものをカテゴライズしようとする。
だからこそ「0⇒1」を創ることは困難かもしれないけれど、現状のジレンマを解決するには破壊と構築を繰り返すしかないだろう。



「ほっちのロッヂ」は、さとこさん(藤岡聡子さん)とべにさん(紅谷浩之さん)が発起人となり、現状の医療に違和感を感じたメンバーが集まっているケアのクリエイティブ集団である。5日間、このメンバーと対話をし、その気概を感じた。


下流で待ち構えるではなく、上流に飛び込もう


そういえば先日、訪問先のばあちゃんがこう言っていた。
「この団地には40年住んでるけどね、昔は週1回皆で団地の掃除をしていたの。正直手間だったけど、掃除を通じて近所付き合いが盛んになった。お隣さんに子どもが生まれた時は、皆でお世話をしたりしてね。でも、時代が進むにつれて、働き手が増え、人員が集まらなくなった。その結果、維持費を払うようになってから徐々に近所付き合いがなくなっていった。今思うと、寂しいね。」

画像3


「つながり」が強くなれば「しがらみ」となることもある。
現代における「つながり」のええあんばいを探り、「つながる」仕掛けをデザインする必要がある。そこに「短期的」じゃなくて「持続的」、「他人事」じゃなくて「我が事」を組み込んで。


改めて、さとこさん、べにさん、めいちゃんを始めとしたメンバーの方々。
受け入れて下さりありがとうございました!              また、ふらっと遊びに行きます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?