唯識についての語りをお聞きして、気付きをメモ的にノートに書きました。

これは、あくまで個人的見解であって、気付きメモです📝

自分自身の小宇宙が大宇宙と繋がる感覚が唯識だと思います。小乗仏教と大乗仏教の違いをもっと勉強したいです。

唯識はかなりシャーマン的感覚に陥っては危ないと思うので、💦
でもそこに、他者もいた。みたいなところで留めておく必要があると思ってます。
自分と他者との感覚はかなりかけ離れている。というのが健全だと思っているほうです。

でも、他者の小宇宙があると突き放すことは、同時に他者の差異性への尊敬、尊重であるとも思います。
そして、私は、他者の苦しみの中に入っていって(同苦して)
他者の立ってる点(思考、感じ方)を探す。そこからから同じ方向をみる。これが難しく、共感という言葉でも言い表せない..
単語の意味の前提を揃えること。ここにほとんどのことの課題意識があります。これは(青色本とかも読みたいですが)
ここにしか、観念論をすることではない何かがある。
それは、寄り添いであり、かなり大変な作業だと思います。他者の幸せを祈れること。

次元は異なりますが、イメージを提示すると、
昔、川崎フロンターレのサッカーで、中村憲剛さんがどうゴールを採るかで"イメージが揃ったらゴールが生まれる"って言ってました。"共時的"ということとも言えますね。

自己中心ではなく、他者中心、同じ小宇宙の点までいくこと。

「生きるのが苦しい」というのは大きな範囲を指すので「生老病死」は誰もが避けられない苦しみのことなとなのだと理解していますが、表現を工夫しないといけない。
人生は当然、避けられない苦しいことが起こる。BADモードに備えて修行せねばというのが、個人的なスタンスです。
その代表が「生老病死」や災害だと思います。

とにかく、他者と同じ地点まで行くこと。
これが、他者の為にも自分の為にもなる大乗仏教的な具体だと思います。本当に、難しいですが。
求道というのは、本当にそうで、何を求道していくのか。

それこそが本当に本当に、生きる上で大事なことだと思います。
これからも、自分に欠けている部分や表現を勉強、体得していきたいです。

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