Day2:渡る世間で釣りばかり
「あつ森」を息子のタイガと一緒に遊ぶことを決意した僕は、まず最初に彼の行動を観察することにした。
するとすぐにあることに気づいた。いやこれは、鈍感でも気づかざるをえない。なぜなら――
我が子、釣りしかしていない!
魚を見つけては一目散に向かって糸をたらし。釣り上げてはキャッキャと喜び、逃げられては奇声を上げる。釣りだけで一喜一憂しているのだ。
しかもタイガは、途中で釣り竿が壊れて楽しい時間が中断されるのが嫌で、釣り竿を常に予備とあわせて2本持ち歩くという徹底ぶりだ。
釣りをめいっぱい満喫して、荷物が満杯になったらたぬき商店に戻り魚を売る。そのついでに壊れてなくなった竿を補充製作する。
この流れるような対応をみて、誰から教わることもなく楽しみ方の工夫をしている息子に成長を感じた。少し前まで親指をしゃぶりながらバブバブ言ってたのが脳裏に浮かぶ…ほんとに大きくなったな!
そんな感慨にふけながら、30分ほど隣でただその様子を眺めていた。
一向に飽きる気配は見せなかった。
それどころかトイレに行きたいのに釣りがしたくて Nintendo Switch から手を離せないようだったので、さすがに止めてトイレに行かせた。
恐ろしいほどの集中。楽しいという感情には無限の可能性を感じる。
トイレから戻ってきたところで声をかけてみた。
「釣り楽しい?」
「うんっ!!」
弾んだ声がすぐさま帰ってきた。眩しい、眩しすぎるくらいピュア。曇りのない眼で即答されると、なぜか自分が薄汚れているような気がしてくるから不思議だ…。
「じゃぁ、今度お父さんと釣り行こうか?」
「ええ〜!?できるの?」
「近くに釣り堀があるからできるぞ」
「いいねぇ〜! でもつりざおつくらないと」
釣り竿を作る? 一体どういうことだろう。僕が不思議な顔をしているのがわかったのかタイガは続けて話しをする。
「つりざおは、きのえだ5つでつくるんだよ!あとてっこうせき」
「そうなんだね」
なるほど意味がわかった。タイガの知ってる釣りという遊びはあくまで「あつ森」の釣りだ。だから、実際に釣りに行くにはいつもの「あつ森」のように釣り竿を製作しないといけないと思ってるに違いない。
僕は釣りのことをまだ教えたことがないのだから、気づいてみればそのとおりだった。
そんなわけで、釣り竿を作る必要がありのは「あつ森」だけの話であること、釣り堀で釣り竿は貸してもらえること、釣りをするには餌が必要なことを伝えて、今度の休みにでかける約束をした。
話を終えるとタイガはすぐにまた「あつ森」を再開した。
釣りがどんなものなのか最初に彼に教えたのは「あつ森」だ。
この事実は僕にとって象徴的な意味を持った。
世の中のことすべてを自分が教えられるはずもない。自分が知っていることや時間も限られているのだからこれは至極当然のことだ。そして放っておいても子どもは学ぶ。
だから、今後は自分が教えられることは全力で教えつつも、まわりの人や機会を活用していくことにした。タイガにとっては「誰が教える」よりも「何を学べたか」の方が重要なはずだから。
Nintendo Switch を抱きかかえるよう持ちながらプレイする彼の後ろ姿をみながら、親として自分は子どもに何を教えられるだろうと問いかけた。
飲みかけのブラックコーヒーはすっかり冷めていた。
いただいたサポートは世界の子どもの教育環境の向上に全額寄付します