僕らがみんな正統を目指していたあの頃。(私的戸川純論)
また朝2時に目覚めてしまって(仕事休みだとついつい)
たまたまyoutubeで久しぶりに戸川純を夢見心地で見ている。
戦後、バラバラになった異常な世界(地獄)から組み立て直していく(再構築)して行く事に夢中だった最後の時代。
戸川純が期せずして現れた。
戸川純といえば、元祖メンヘラと言われている。
正統を目指せ!という社会に乗り続けようとすればする程持ち前のクソ真面目さで、歪み、ひしゃげていく。
80年代というのは、(受験戦争、校内暴力、家庭内暴力とか)それまで見落とされ(結果的に育んできた)ていたものが限界に達し色々と無理(無理なものは無理なのだ)の兆しが現れていた。
普通に普通だと思ってるし、普通に思ってるのがリアルだったのだ普通に。
そんな風景に小さな裂け目が現れ普通な風景の中に本人は普通だと言ってるけどなんかちょっと歪んだ存在なものがでてきた(子どもの頃、魅力的な友達ってみんなそんなだった。)
頑張って普通を目指してた。24時間働くのが輝いていたそんな時代。
突き進んでいた。やがて崩れていく時が来るなんて誰も思っていなかった。そんな空気が漂っていた80年代初頭(でもまだ逃げれる隙間はあった)
でも社会はどんどん極端になって行った普通である事に呪縛され壊れて行く。
普通さの生真面目過ぎる異常さが時代の正統の小さな裂け目から先陣を切って出て来ちゃった予期せぬ不純物。純ちゃん。ほんとは透明な純ちゃん。(人はビョーキと言う)
私はゲルニカの感動的な愛おしき純粋さが一番好きだった。
気を衒った表現を狙った訳でも無いのにゲテモノ扱いされながらも(後半は意識的だったかも)
あの時代突き進めたのも自身の正常性を疑わなかった(辛うじて見捨てない繋がりのある社会がまだあったから)からなのではないかとも思うのです。
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