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グラスワンダー物語 〜インターネットの始まりとApple〜

みなさんおつかれさまです☺️

グラスワンダーの子孫で凱旋門賞Prix de L’arc de triomphe 🇫🇷、ぐらそんです。

今日はグラスワンダー物語の続き。
写真は北海道で暮らすグラスワンダーです。


1999年12月26日 中山9R 有馬記念

インターネット黎明期。BBSという言葉はもう使われないが、2ちゃんねるのようなようは掲示板というものが、流行っていた。

インターネットというのはつまりは世界をつなぐコミュニケーションツールであって、1Gの時代の前のADSLの前のもっと前。メタル回線の時代から、コミュニケーションを向上させるために存在していた。

1999年に大学受験を控えていた俺はあんなに楽しみだった競馬から離れていた。

1999年は凄い年で、1000年に一度のミレニアムを控えて街は浮き足立つでもなく、Y2K問題を抱えて世界は全てのコンピュータが止まるのではないかという危機を迎えていた。ちなみにこれを救うのに多大に貢献したのはWindows95であり、WindowsはMacのパクリであるから、結果Appleが最強なのは言うまでもない。

当時は日本の企業がバブル過ぎてもまだまだ元気な時代で、NECのN携帯やSONYのウォークマンが欲しくてたまらなかった。

世界史を塗り替える発明が情報機器として、どんどん生まれる時代だった。

俺は田舎の高校で数学を解くのが速すぎて電卓と呼ばれていた。センター試験の数学は200点満点だった。もちろん、電気情報工学を学ぶつもりだ。

話を元に戻すと、インターネットはまだまだ黎明期であったが、全ての発明という発明はつまりはコミュニケーションを多用にして、人間の多様性を拡げるために生まれているもので、こうして書いてるnoteも誰かの知的好奇心を刺激したり、何かヒントを与えるものでなければならない。

ゆえにインターネットは発展したのであり、SNSは今のところの到達点であり、もっと発展させるのがブロックチェーンとNFTとメタバースよりユニバースである。


グラスワンダーとスペシャルウィークの2度目の対決!!

1999年 有馬記念には凄いメンバーが集まった。

グラスワンダー、スペシャルウィーク、テイエムオペラオー、ナリタトップロード、ファレノプシス、メジロブライト、ステイゴールド、フサイチエアデール、ツルマルツヨシ、など豪華メンバーである。

だが、受験生である私は有馬記念の始まる直前までこの事にほとんど興味を持てなかった。それくらい数学、物理、化学の難問を解くのに集中していた。

当日は親戚のおじさんが家に遊びに来ていて、日曜の3時に本当にいつものクセでつけたテレビが有馬記念だった。

そういえば今日はグラスとスペシャルの対決の日じゃないか!

身体中の血が対決のことを思い出して、たぎるのを感じた。テレビのなかにいるグラス。スペシャルのラストラン。最後の対決。1999年で世界が終わるかもしれない。

全てが重なった1999.12.26。

パドックを悠然と歩くグラスワンダー、スペシャルウィーク。このときは次に好きなナリタトップロードもステイゴールドも見えてない。

二強を確信する。


続きはまた今度。

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