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秩父にキリシタン禁制を定めた高札を発見

最近、キリシタン禁制を定めた江戸時代の高札が今でも残っている所がある、と聞いて、実際に行って見て来た。高札とは、民衆に法令を周知徹底するために用いた木製板で、これを屋根で覆い十字路に立てた。場所は秩父市郊外(旧吉田町門平)である。なるほど修復を継いできたとはいえ、江戸時代からそこに立っているほぼオリジナルの高札であった。今でも民を睥睨するように四辻に佇立している。
 
「キリシタン」とは、明治時代の禁教令撤廃(1873年)以前に使われていた古語口語であり、現在のクリスチャン、より正確に言えばカトリック信者である。切支丹や鬼理死丹とも書かれて蔑まれた。プロテスタントが日本に入ってくるのは明治期以降であることに注意されたい。カトリック信者であるからこそ、江戸時代の250年間を潜伏キリシタンとして生き延びた。これについては別項にて扱う。
 
さて、この高札にはつぎのように記載されている。ただし判読がかなり難しい部分があったため、他の地方にあった類似のキリシタン禁制高札の内容から判断して下記のようであったと判断した。尚、「はてれん」とは、宣教師、「いるまん」とは、宣教師に次ぐ位の伝道士、「立ちかえりの者」とは、再びキリスト教信者となった者、「同宿並びに宗門」とは、伝道士と信徒の意である。
 
きりしたん宗門ハ累年御禁制たり
自然不審成ものこれあらハ申出へし
御ほうひとして
はてれんの訴人  銀五百枚
いるまんの訴人  銀三百枚
立ちかえり者の訴人  同断
同宿並宗門の訴人  銀百枚
右の通下さるへし たとひ同宿宗門の内たりというとも申出る品により銀五百枚下さるへし かくし置他所よりあらハるるにおいては其所の名主並五人組迄一類ともに可被行罪科者也
 
これを読むと、先ず、バテレンなどのキリシタン、立ち返り者等を訴え出た者に対して、褒美を与えること、また隠し立てすれば名主とはじめ、五人組まで罰することが分かる。宣教師や伝道士を役人に訴え出れば、銀500枚というから、現代の価値にしておよそ3500万円という大金がご褒美として貰えたことが分かる。
 
実は高札場は、上記の秩父市吉田(旧吉田町門平)以外にも、門平高札場から山を20分程下りたところの大田地区(旧大田村)にも田んぼの中にポツンと存在する。江戸時代、当時の(上日野沢村の)名主の家の前に建てられたということである。大田の高札場は、残念なことに字が全く消えてしまっていて読むことができない。
 
当時、秩父には70以上の集落があり、約70の高札場が設けられていたそうである。つまり一集落につき、一つの高札場が設けられていたというから、徹底的に隠れキリシタンを取り締まっていたのであろう。
 
そもそも高札とは、主に江戸時代に法度・禁令や犯罪人の罪状などを記し、一般に告示するために町辻や広場などに高く掲げた板の札のことであるが、1874年(明治7年)に廃止が決定され、2年後には完全に撤去されたことになっている。江戸時代では特に上記の如くキリシタン禁制が盛り込まれた。
 
およそ現存する高札場について調べてみると、府中宿(府中市の甲州街道)に一箇所あるのみで、その他の京都や箱根、等にある高札は、すべて復元されたレプリカであるということである。秩父近くの児玉村にも高札場はあるが、肝心の高札が掲げられていない。高札は、墨で書かれたため、風雨には弱く、(屋根があったにも関わらず)消えてしまうことが多いため、この秩父の高札は歴史的遺物として大変貴重である。

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