善と悪、陰と陽、メンヘラと○○

僕は昔から、この世の中を善悪含めて「良いもの」としてとらえている節がある。
例えば、犯罪やいじめ、貧困や社会政治の不祥事など、そういった世間から批判されるようなものを見てもそれがないとこの世界は存在しないのだと思っている。
昨今は聞かなくなりつつあるトー横界隈も、咳止めを大量に飲んでトリップするメンヘラも、それすらできない病める人たちも、不倫した芸能人もカンニングしたあの子も子供ができちゃったあの人もみんな許容されるべきなんじゃないだろうか。
そういう人たちが正義の名のもとに、居場所を奪われ、頼みの綱を切られ、社会的地位を必要以上に崩されてしまうことが果たしてよりよい社会に向けての第一歩なのだろうか。
僕はそんなことが進み切ってしまった正義のユートピアには人間はいないんじゃないだろうかと考えてしまう。
僕は音楽をやる人だから余計思うのかもしれないが、人間は不完全だからこそ素晴らしく、発展できるのではないだろうか。
失敗、過ちを裁くのは皆で決めた法であって人ではないのだ。不完全なところも愛して救う方法を考えていくことが大事なのではないだろうか。
世の中が濁って澱んでしまったときに、人々を救うのは正義じゃなくて許容だと思うのだ。
ひどいことばかりの世の中だが、それを潜り抜けるために人間は愛という感情をもらったのではないだろうか。

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