ADHD.MDMA

電車のドアが開く。大勢の人の中で"ヒト"として俺も電車に乗り込む。何もかもが歯車のように噛み合う世界。啀み合いでさえ、世界の為にあるように感じてくる。

電車に揺られる、ゆらゆらと。生きてる価値なんてあるだろうか。今の世界に。

平成に取り残された平成生まれの俺は令和と馴染めない。音楽は消費され、アクセサリーと化した。ファッションは自分という人間のジャンル表示、ゲームで言うタイプのようになった。例えばポケモンならば、ほのおタイプは赤色っぽい色、くさタイプはだいたい緑色のような。

今の世界の時の流れはとても早い。今日はあれについて騒いでいたのに次の日になればまた違うものについて。人の噂も七十五日と言うが、今の時代では1ヶ月いかない程度だろう。1部の阿呆が少しだったあと「忘れてはいけない」とか「覚えていますか?」とかを見出しにしていいねの材料にする。そのくせ、1度警察のお世話になった人には人権はないみたいにする輩もいるから今の世は争いが絶えない。

何が男女平等だ。何がサブカルチャーが認められてきているだ。結局、その単語が存在し続ける限り、そんなもの実現しない。今日もどこかで内気なオタクは蔑まれ、非力な男女は虐げられる。人間は生物として残酷なのだ。社会的になろうと、物理的戦争を無くそうと。

何もかもが消費される世の中ならば、命すら消費される世の中ならば、抗い続ける事が存在証明なのではないだろうか。個性個性と言われているのに量産される若人たち。ならばその中で己を貫いていくことが"自分"を"証明"することではないだろうか。

「自分のために生きて、結局誰かのためになった。それだけの事なんだ悪くは無いだろう?」 ある曲の一節だが、今の時代に大切なのはこの精神だと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?