見出し画像

オッペンハイマーの生涯を語るナレーションを動画にしてアップした

⏬の配信番組『物理学者オッペンハイマ 一~原爆を生んだ科学者の罪と罰~』
の中で
ロスアラモス研究所長のオッペンハイマーが政府の原爆開発の顧問会の委員になった頃からあとの話についての
ナレーションを録音しました

番組全体の三分の一ほど以降です

NHK+

録音前にも
オッペンハイマーの生い立ちについて
興味深い話がありましたが
残念ながら録音できませんでした
代わりに ここに補足を入れます


ロスアラモス研究所 所長になるまで

ドイツからのユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれた。
非常に早熟で、子供の頃から鉱物や地質学に興味を持ち、数学や化学、18世紀の詩や数ヶ国の言語を学んでいた。最終的には6カ国語を話した。
一方で運動神経にはあまり優れず、同世代の子供たちと駆け回って遊ぶことはほとんどなかった。ただし、セーリングと乗馬は得意であった。

ロバート・オッペンハイマー│Wikipedia

オッペンハイマーは少年の頃
好きな乗馬で広い荒野のロスアラモスまで遠出したことがあり、その時この地を非常に気に入ったという話でした

ハーバード大学に入学し、化学を専攻した。飛び級もあり、1925年に最優等の成績を修めてハーバード大学を3年でかつ首席で卒業。
イギリスのケンブリッジ大学に留学し、…

ロバート・オッペンハイマー│Wikipedia

もともとオッペンハイマーのハーバード大学での専攻は化学だった。
そこから実験物理学に行くのだが、実験はあまりオッペンハイマーの得意とするところではなかったようだ。

山口 直樹
"小特集:映画『オッペンハイマー』を語る"
市民科学研究室


ハーバード大学では飛び級、首席の成績優秀者で

しかし当時
ケンブリッジ大学の物理学は実験主体で

実験器材を自分で作り、実験データを集めそれを分析していく流れです

手先が器用でなかったらしいオッペンハイマーは実験器材の製作も上手くできず研究がなかなか進まず悩んだようです

キャヴェンディッシュ研究所で
…ニールス・ボーアと出会い、
…理論中心の物理学の世界へと入っていくことになる。
彼は実験物理学が発展していたケンブリッジから、理論物理学が発展していたゲッティンゲン大学へ移籍して、博士号を取得した。

ロバート・オッペンハイマー│Wikipedia

自分は理論構築に専念し、完成したあとの実験による実証は理論の著述を人に渡して任せれば良い
とオッペンハイマーは考えるようになったそうです

1942年には原子爆弾開発を目指すマンハッタン計画が開始される。
1943年、オッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、原爆製造研究チームを主導した。

ロバート・オッペンハイマー│Wikipedia

原爆研究開発の場所がロスアラモスになったのは
オッペンハイマーの少年時代の思い出により
機密性が必要な研究の場所として、そこが遠くまで周りに何も無くて候補にふさわしいと考えられたという話を語っていました

アップした動画のリンク リスト

録音を動画にして
それをYouTubeにアップしました
全部で10本です

タイトルを押して現れる
"概要" の中にそれぞれ

🚩前後の動画のリンクを付けてあります

🚩YouTubeの自動字幕 機能を使った時の
誤記を修正して それを載せました

今回アップした動画のリンクをここにリストアップします


〚音声〛『物理学者オッペンハイマ 一~原爆を生んだ科学者の罪と罰~』 より─ @みい-z12x │YouTube

①訂字幕&補説in"概要"
この動画の "概要"欄にも補足説明を入れています

②訂字幕in概要

③訂字幕in概要

④訂字幕in概要

⑤訂字幕in概要

⑥訂字幕in概要

⑦訂字幕in概要

⑧訂字幕in概要

⑨訂字幕in概要

⑩訂字幕in概要


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?