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お別れの言葉をうまく言えない



ご冥福をお祈りいたしますとかお悔やみ申し上げますとか哀悼の意を表しますとか、人が亡くなったときの決まり文句が苦手だ。

問題提起しようというわけではない。
これらの言葉を使う人を責めようというわけでもない。
自分がそういうことを言うのが苦手なだけだ。
自分の気持ちをうまく言い表したいのに結局決まり文句を使って、いつもいつもああ、私が言いたいのはこの言葉ではないとモヤモヤするのだ。



私は「凄い人」が好きだ。
凡人がどんなに努力しても到底できないことをする人。
たぐい稀なる才能を持っている人。
圧倒的な魅力がある人。
BUCK-TICK櫻井敦司さんの訃報に接し、改めてそんなことを考える。

ただの「時々BUCK-TICKを聴くだけの人」私が思う櫻井さんの凄さとは、誤解を恐れずに言うならばずばり顔面である。

当然のことながら櫻井さんの魅力は他にもたくさんある。しかし私はあんなに圧倒的な顔面を他に知らない。
「イケメン」ならば多少努力すれば凡人でもなれるかもしれない。
しかし、櫻井さんの顔面はイケメン、美形、ハンサム、男前、色男、二枚目、美人、その他どんな誉め言葉を使っても表現できない。

ただただ、圧倒的、唯一無二なのである。

若い頃のひたすらに整った美形ぶりもいいが、年を重ねるにつれて増していった奥行き、妖艶さ、凄みある表情もとてもよい。
子供の頃愛読していた漫画「悪魔デイモスの花嫁」を実写版でやるならば、デイモスはこの人しかいないと思っていたのだよな。
それくらいの、とても人間とは思えないような神がかったルックスを持つ人だった。
それゆえ悩みも多かったのだろう、ナイーブな青年のイメージだった櫻井さんだが、最近は人生を楽しんでいるような感じを受け、いい歳の取り方をしているなあと思っていた矢先だった。






デビューから35年、BUCK-TICKは一度もメンバーチェンジせずにずっと第一線で活動してきたバンドだ。
それがもう奇跡だ。凄いことである。

櫻井敦司さんが書いた詩や歌った曲は残る。

おそらく私はこれからも時々BUCK-TICKを聴く。