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9年前

下書きのまま1年間そのままだった。


随分とたくさんのことがあったけど、今日も私は君に会いたい。

君がいなくなったことに比べればぜんぜん全く大したことではないんだけど、それでも戸籍的には大したことになってしまって。最近それがやっと片付いた。長かった。

君の仕業か?と思うことが随所に散りばめられてて
そんな時に「遠隔から援助頂いているようだけれど、そんなことするなら生きててよ。」と思ったことも何度もある。
いろんな人に力を借りてここまでこれた。
それからそういえば「こんはずじゃなかった」とは思わなくなった。
いや。「こんなはずではない」んだけどね。

先日の君の命日。
私は忙しかった。今思えばこれも君の仕業なのかなと思う。
違くてもそう思う。多分違くない。

ついこの間の君の命日の前日。
離婚の手続きで地元の市役所に行くことにした。
(毎年命日にしんみりと墓参りしてたけど、私気がついたの。あんた、誕生日の方が喜ぶやろ?ということで今年から誕生日に墓を参ることにしようと切り替えたんだけど。。今年の誕生日はコロナが猛威を奮ってしかも子どもが熱出して諦めた。来年の誕生日は行きたい。)
ということで、自分の地元に向かってた。
やっといろんなしがらみから解放されて次の段階に進める!と。久しぶりに嬉しい気持ちだった。

用事が終わった後に実家帰った。
結果から言うと、お母さん。生きてた。
君がやったんじゃないの?第一発見者にさせるのはかわいそうだからなんとかしてくれたんじゃないの?と思ってる。

こないだじーちゃんが死んで。
今は、父さんが弔辞で長いこと不在。

母さんは足の調子が悪くて留守番。
その足の調子などが心配で用事終わりで実家に寄ってみた。
したら母さんが変だった。
呂律が回らない。手が動かない。歩くの遅い。おかしなこと言い出す。
いつもの不機嫌の延長かとも思ったけど、違かった。
おかしかった。

多分頭どうにかなってる。怖かった。
でも、変なこと言う以外は意識ははっきりしてる。
身の回りのこともゆっくりだけど自分でできてる。
母さんは「あんた子供のお迎えがあるんだから早く帰れ」と言う。
でも多分帰ってはダメだなって。
これは病院だなって。

連れてったらやっぱり頭、脳だった。
そのまま家に帰れず。子どもはお願いして。
翌日総合病院に行くために準備した。

今年の君の命日は母の緊急入院のために私は忙しかった。
入院の手続きの書類を書くたびに君の命日を記入する。
その瞬間。毎回君がよぎった。チラッと。

9年前、君の死がわかった後、死にそうな私はひとり暮らしの家には戻れなかった。警察を出た後そのまま実家に帰った。そういえばどうやって帰ったのか覚えてないや。
お姉ちゃんが迎えにきたんだっけ?今度聞いてみる。

実家について2日間寝てなかった私を布団に寝かせて母は一晩中私を見守っていたらしい。

9年後。
私は母の息が止まるんじゃないかと一晩中。見守った。
なんだろうかこれは。なんなんだろうか。
何度も思った。

そしてあれから数日さっき思った。
これも君の仕業かもしれないと。
違くてもいい。そういうことにしておいて。

こんな話を聞いてもらいたいんだ。
なんでそんなに辛いのに黙ってたの!?
いつもみたく、そう言われたいんだ。
君に会いたいんだ。おーい。

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