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どこにいても笑ってて

記憶が薄くなっている。
向き合いたくない現実があり、それから逃げるために適当に掴んだそこら辺にある現実を塗り重ねて生きてきた。その作業が適当すぎてここに来てヒビが入り、ついに崩れた。
これから先どうなるのかはもうわからない。
先が見えない現実がまた広がっている。

少し前の記憶の話。

土手で寝転がり空を眺めた
寒い夜に窓を開けて布団にくるまって星空を見た
きれいな海を空を飛ぶように泳いだ
早起きをしてコーヒーカップを持ってパン屋に向かう
駅の名前が気になるからと下車をして砂浜まで歩いた

私は幸せなのだと自覚できていた時があった
とても穏やかな優しい時間だった
あの時の私は自分を認めることができていたし、
自信を持って過ごせていた。
あの時の写真を引っ張り出してみた。
そこに写る顔は自分でも見たことのない程にとんでもない笑顔で笑っていて、目を覆ってしまうほどに眩しくて私は泣いた。

人生の中で一度だけでもあの時間を、穏やかな時間を過ごせてよかった。
こんな私でも生きていていいんだと思えたことが嬉しかった。やっとだった。

親への感謝を無理やりに捻り出して、良い子でいることが良いことで。自分の意思を持つことは良くないことで、興味があることは出来るわけないと潰されて、自分が何になりたいのかわからないまま大きくなった。
憎しみ合っている両者の間で「あっちに似ている」と罵られ、なぜ愛されないのか。なぜ生きているのか、なぜ死ねないのかを考えて生きていた。
ハタチも超えそれでもそれに囚われて生きていた。

そんな中、君に出会った。
いつも笑っていて優しくて素敵だった。今思えば少し変なところもあったけど。それでも今は全ていいことしか覚えていない。
大胆なのか控えめなのかよくわからないアプローチ。
全ての話を聞いてくれた上で否定することなく一緒に考えてくれるその優しさ。
興味のままに行動する楽しさ。お互いのことを尊重し合い距離を保つこと。
私の都合を1人の人間として扱ってくれる環境で、私は驚いた。そんなことがあるんだと。生きていることとは素敵なことなんだと思えた。
楽しかった。大好きだった。
ずっとこの幸せが続くように願ってた。
でもどこかでこの手を離さなければならない日が来るんだろうなと。なんだかそんな気もしていた。

私はその優しさに甘えてしまっていた。
認めてくれることをいいことに私は自分の意思を主張するようになった。
君の気持ちを考えずにふてくされてみることもあった。
私は君に自分の全てをさらけ出していたと思う。

いびつな形に育った私は君のおかげでその形を少しずつ修正することができていた。

後に私は知る。
私が知らない君がたくさんいたことを。
私は君の育った家がどこにあるのか知らなかった。
君の勤めている会社の名前を知らなかった。
君に悩みがあることを知らなかった。

私はその問いに答えられなかった。
現実の横でぼんやりとあの映画でもこんなシーンがあったよな。と思った。
私は君のことを知らなかった。

私は「どうしよう。」という言葉を繰り返した。もう戻ることがない現実を前に本当にどうすればいいか分からなかった。
小さかった時、友達の大切な陶器のハンドベルを割ってしまったことがあった。
あの時の気持ちにとてもよく似ていた。
取り返しがつかないことをしたと。
もう戻らない。
「どうしよう。」と

本当にそれしか出てこなかった。



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