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[ネタバレ注意]元ネトゲ廃人・XR研究者が語る「竜とそばかすの姫」

4歳になる娘と「竜とそばかすの姫」を見てきました。最初は話的に難しそうだし、無理があるかなーと思いつつ一緒に行ってみたのですが、絵的にも派手なシーンが多く、娘も結構楽しんでいたので、良かったです。

まずはネットのレビューとか一切見ることなく自分なりの感想や見解をここに書いていこうと思います!元々細田守の作品は好きなものが多いですが、今回の作品は私にはかなりささりました。

VR世界と現実世界のつながりと両立

VRというと基本的にVRに閉じた作品・映画が作られがちな気がしているのですが、サマーウォーズでもそうであったように、細田作品の中ではVR空間と現実世界の連携がよく描写されているように思います。今回の竜とそばかすの姫でもさらに深いところまで表現されていました。VR空間と現実世界の両方を持ってして、その相乗効果で人はどう生きていくのかというのを表現しているように思えます。つまりVR世界と現実世界どのどちらも否定するわけではなく、両立することに可能性がある、というようにうったえているように見えます。

ストーリーや演出として、VR世界とのインタラクションの伝え方がうまいなと思いました。サマーウォーズの時も思ったのですが、本作でも<U>の世界も複雑な世界・システム設定があるのにも関わらず、そこを過度に説明せずに映像の中のキャラクターのUXの中で伝えてしまっている点は面白いなと思いました。また、サマーウォーズの中で「細田守作品の中でVR空間とはこういうものである。こういう位置づけである。」という前提を作ってしまっていたことや、イメージつきやすいような今すでにあるSNSサービスをところどこを織り混ぜているのも、わかりやすく伝えられる要因になっているのかなと思いました。

オンライン空間の光と影

今回の作品で焦点を当てているのはVR・オンライン空間・SNSの脆弱さと可能性かなと感じとりました。

まずは脆弱性について。映画を見て思ったのが世の中の人々の感情・噂や誹謗中傷がいかに素早く簡単に動かされてしまうか。それは今あるSNS上であっても同じことが言えて、映画の中ではそれをグラフィカルに可視化表現されていました。だからこそ、いかに人の評判や批判はいかに脆くてきとうなものであるかが、表現されていたと思います。正しい情報や本質に目を向けることの大切さはいかにVR化されようと変わりません。

可能性について。やはり現実世界では可視化されていない、お互いの価値や可能性を表現できることはオンライン空間の大きな可能性ではないかと思います。映画の中ではAI化されていましたが、各個人の現実世界とは違った一面、本質をオンライン空間の中に開放できることも可能性の一つです。個人の持っているポテンシャルや可能性を現実世界の中だけで見たり表現することはやはり難しい。それを個人自身が表現したり、あるいはサービス・システムが拾い上げることもできるのもオンライン・VR空間ならではの可能性ではないかなと感じます。こうした個人の可能性が見つけだされ、またそうして見つかった能力が現実世界で活用される、みたいなケースがこれからも増えていくのではないでしょうか。

また、映画の中では、現実世界では見えてこなかった事象・リスクが<U>で可視化され、それを助けようとする人たちとのつながりが描かれていたことが印象的でした。今の社会背景もあり、利他的に動こうという人がこれまで以上に増えている中で、こうしたオンライン空間はとても有用な場にますますなっていくのではないかと考えました。

結局、技術・ツールは人がどう使い管理するかだなと改めて感じました。もしかしたらオンライン空間はこれまで以上に、親切になることもできるし、余計なおせっかいができる場所なのかもしれない。この作品ではオンライン空間の光の面と闇の面が上手に表現されていたと思います。

オンライン空間における自己開示

映画の中では自分の姿が公になることを「Unveil」と表現していましたが、ほとんどの人がUnveilせずに、<U>の世界の中の自分A sで過ごしているようでした。Facebookと匿名のtwitterで人の振る舞いが変わるように、VR人格の使い方は自分のネトゲ経験からも千差万別です。だからこそ同一基準で測ることがとても難しい。オンライン空間で警察のようなものが働きにく一つの理由はここにあるのではないかと思います。私は過去の濃厚なネトゲ経験の中でこの「もう1つの自分」を作れることの可能性と難しさを身をもって体験しました。そしてそれは各ユーザーだけではなく、これをマネージ・リスク管理しなければいけない事業者側にも言えることなのかなと思います。

オンライン空間の可能性

私がVR空間・オンライン空間に可能性を感じ、面白いと思う理由は、自己の表現方法がとても多様になるという点です。単にアバターを作る、カスタマイズするだけ、という話ではなく、何の情報を共有して何を隠すのか。誰に共有して誰に隠すのか。私自身オンラインゲームの中でこの可能性に気付きました。これまでの現実世界は物事があまりにも同一基準で測られすぎていた。しかし、これからはそうではない。おそらくはこうしたVR空間・オンライン空間の発達に引っ張られて現実世界でもそうなっていくのではないかと期待しています。これから同一基準を排し、多様性を評価できるようにするのか。それはAI・テクノロジーを用いるのも一つの手段になるのかと思いますが、そんなことを大学なりさまざまなところで議論して挑戦できたら良いなと思っています。


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