深夜テンション

どーも、ギートです

今回は深夜に哲学系の記事など読んでたら頭おかしくなったのでここに書き捨てます

あくまで個人の考えなので悪しからず


まずは自我について

まず前提として自我とは何か、自分の中では他者と自分との境界線があり、それを自他ともに認識できているのものとしてます

自分はこの人とはこんなところが違う、こんなところが同じということがわかっている状態です

それをはっきりさせるために思春期がありそれを超えて自分を作っていくと思っています

一度自我を形成した人でもわからなくなることがあり、それが所謂鬱病だったり思ってる

あの人はこれができてるのに自分はできてない、自分はこんなになってるのにこの人はなんで普通でいられるの?

この状態マジで気分が落ち込むんですよね。全部人と比べて自分を下に落として、それを客観視してしまってさらに落ちてくんですよね

さらにやばいのがこれ基本的に時間経過でしか治らないこと

1ヶ月で立ち直る人もいるし、1年かけても治らず命を経ってしまうこともある

自分がこれになった時は周りの助けもあって2ヶ月くらいで立ち直れたけどたまにこれに陥りそうになる

基本的にこれはストレスや疲れが溜まってる時だけなんですけどね

話を戻します

自我って意外と揺らぎやすくて、それを何回も耐え切って自我をより強固なものにしていくことが生きていく中で大事なことの一つだと思ってる


人生の意味 

なぜ生きるのかと死について

せいぜい10何年しか生きないけど今のところ、死ぬまでの暇つぶしとか、結局“死”という終着点に向けての通過点でしかなくて多くの人の心に残ろうが誰にも知られずにひっそり死のうが、本人的には死んでいるので結局はかわらないということに落ち着きました。死までの通過点

死はさっきも書いた通り人生の終着点でそれまでは通過点でしかなく、それまでが無意味とは言わないが死んでしまったらそれ以上もそれ以下もなくなると思う

死ぬまでに何をしたい?とか、明日世界が終わるとしたら何する?とかの質問をよく耳にするし考えるけど

明日のことを考える人は少ないと思う。

明日実際に死ぬかもしれないし、明日1番の長所がなくなるかもしれない

けど明日が一番近い未来で一番身近な変えられる世界なのに多くの人は、ありえない未来をめちゃくちゃに考え、想像する。

それは悪いことではないけど今に不満を持っている人ほど変えられる未来ではなくありえない未来を想像する。

終わりに

今回は適当に書き殴っただけなので矛盾だらけだと思います

そのうちちゃんと勉強して書き直すかもしれません

受験に向けていろいろ考えてたら頭おかしくなってきたのでそのうち一回ぶっ壊れます

最後まで読んでくれてありがとうございました

少しでも参考になれば幸いです

P.S

ヤンデレテイオーは解釈違いだし

トレーナーとウマ娘は恋仲にはなりません。ネイチャは俺の彼女です


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