認知の歪みから記憶の再発見へ

筆が乗っているので、少しだけ。

新作をいま、書いています。
まだ詳しくは言えないのだけど、
記憶を探る、物語です。

自分の興味関心が、「認知の歪み」から、「記憶の再発見」へ移行しつつあるな、というのを、最近感じます。

2015年からまる3年間、「認知の歪み」をテーマに作品を作ってきました。

「聖女」、「光の祭典」、「向井坂良い子と長い呪いの歌」…。
三作品とも、主人公たちが自分自身の認知の歪みに苦しめられていました。

それは私が、愛というものが暴力装置である、と思っていた期間とぴったり重なります。

インターネットであまり長く書くのは趣味ではないし、劇場にいらしてくれた人とだけの秘密のような気持ちで演劇を書いていたりするので、そうだった、とだけ書いておくけれど。

奪うこと、または、捧げること。
それだけが、わたしにとっての愛でした。

だけど、そうじゃないかも?と思い始めて書いたのが、3月末に上演した「乙女の奇妙な冒険」でした。

ディレクターズカット版、というサブタイトルにかこつけて、好き勝手にやるお話だったのだけど (笑)

はじめて、精神的に自立した女、を、主人公にすることができた。

もちろん自立した女にもその女なりの苦悩はあるのだけど、
自分にとっては大きなタームでした。

今、「記憶の再発見」が、自分にとって大きな作品要素です。

前述した「乙女の奇妙な冒険」にも、記憶を失ってしまった少女が登場します。物語の中で、彼女は失われた自分の過去を思い出す。

今までは、認知の歪み、つまり、自分自身で知覚を遮断してしまうことによる記憶喪失を書いてきたのですが、

今は、自分の思いや希望など知らぬことか、と、体が勝手に記憶を失わせてゆく。

そういった、記憶の喪失、を書いています。

並行して3本ぐらい作品を考えてながら、どれもそうだと、気がついて、自分の変化に戸惑いながら、それでも今書きたいのはこのことだ、と、タイプする。

自分の思うようにならぬ体。失われたことにすら気がつけない私。
記憶は脳の奥深くへしまいこまれ、再び見つけ出される日を待っている。

誰かに忘れられても、ただ記憶だけは、あなたのことを待っている。

記憶を探る物語

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