8年という歳月
18才から26歳までの8年という歳月について考えている。
あの時引かれたひきがねをずっと見ないようにして振る舞い続けた8年だった。
どう見られているか意識的になれ、
他者の模範に添って振る舞え、
でなければ死ね、
という長きにわたる抑圧から、
この1ヶ月、体の不調によって軽く解き放たれた。
平たく言うと、自分の「体調ファースト」になった。
そうなると見える世界が変わったので不思議な感覚がある。
本当に違うのだ。今まで手に取るように見えてきた他人の希望や意見が、まったく見えなくなった。
それは体調によって読み取れなくなった言わば体による強制的なバグなので、生きやすくなったとか生きにくいとかはまだ分からない。
自分の意志によって世界が変わる、自分の「心ファースト」になったらもっと見えるものが変わるのだろうとは思う。
変わった世界を見てみたいとも思う。
どうして言うことを聞けないの!そんなにわがままなの!と言われ続けた子供時代だった。
普通に振舞うことができなかった。
今もできない。
だから、普通でありたい、人に気持ち悪がられたくない、嫌われたくない、つまりは、迫害されたくない、殺されたくない、という気持ちがいつも胸のなかにある。
映像に撮られたわたしはまったくそんな雰囲気がないので不思議に思う。
屈託なく笑う自信ありげな26歳に見える。
時たましゃべっているとき、これは誰がしゃべっているのかしら、と思うときがある。
口と耳が分かれている。
賢く、とても元気よく、理知的なわたしの声。
元気な君じゃなきゃ嫌だ、と言われて、ふざけんなよと思ったことがあるが、確かにこの外ヅラの女の内面が、湿度90%の手に負えない混沌さだったら、なんていうかそれはパッケージ詐欺だ。
でもそうだ。
わたしの外面はイメージです。
無垢なわたし、はつらつなわたし、勇気があって、活力にあふれたわたし。それらは全て外向きのパッケージ、手に取りやすい演出されたわたしに過ぎない。
こんなことをつらつら書いても、わたしは人に会えば元気なように振舞ってしまう。それこそ息を吸うように自然に。
他人の希望や意見は、読み取れても応えることがむつかしかった。100%以外の努力はいらないと言われ、一生懸命にかえそうとした。余計に空回った。
もちろんそれで身についた技術はたくさんあるが、心が疲弊してしまった。そんな8年だった。
わたしの演劇は、わたしのイメージとかけ離れている。だけど、イメージと違うと言わないで欲しい。
わたしの体の中にある混沌としたわたしと、必死で規範に添おうとするわたし。その地獄のような闘いをいつも、立派なストーリーに載せて描いている。(わたしの長所はストーリーテーリーングに長けたところだ)
いつも必死に、規範に則って生きようとしている人に観て欲しいと思っています。
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