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書いてみたから見えてきた

表現することは自分がどう生きるのかの方向性を照らしだす

自己表現をする必要があるのか
頭をなるべく使わずに観られるものが世の中にはたくさんあるではないか
一生それらを楽しめばいいのではないか

頭をなるべく使わせないように作られているものには、そういう作り方を意図して作られている。エンターテインメントとして、息抜きとしてそれが好きならそれでいい。
しかし、興味があることを発見しその形が見えてきたときに、その興味あることのありかがどこにあるのかを考えることによって、自分がどう生きるのかということの方向性を見出すことができます。

息抜きのエンターテイメントにもちゃんと夢中になれる仕組みがあり、仕組みを知ることは、眠っている集合的無意識を意識に拾いあげることができて、ああ、こんなふうに表現していたんだとより表現の機微を感じられるようになるのです。

ことばを使って自己を表出させることは、相手という未知の存在へ働きかけることであり、公的な自分の積み重ねです。
他者との共通項としてのエンターテイメントは成立するが、そのコミュニティに属する私ではなく、本来の私という個の方向性を探すことが、個人のなぜ興味を持ったんだろう?という自己の根底を再確認できるものではないだろうか。

このことは他者や社会とどう関わったらいいのかということにも密接につながっています。なぜなら自分の興味がこの社会において、どのような意味を持つのかを考えることになるからです。

些細な共通点を見つけることで、他者はあなたに興味を持つ。共通の職場、趣味、学校、動物占いだってペットの話だってなんでもいい。ああそうなんだレベルのことでもいい。

私は今、何を考えているんだ?
私が今、1番知りたいことはなんだろう?

そういう自分に向けての問いこそ、あなたをこの社会的なやりとりのなかに誘い込む初めの扉になるのです。

参考文献:
自分の〈ことば〉をつくる あなたにしか語れないことを表現する技術 著 細川秀雄




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