苦しみから下りるおまじない
自業自得といいますが
文字どおりに読んだら自らの業(ごう・おこない)で得をする。
そう読めませんか?
ではなぜ
悪いことだけ、自業自得だ。と
表現するようになったのでしょう?
そもそもの仏教用語では良い意味も含めていますが
なぜか悪いことがおきたときだけ、使いますよね。
では、思考の旅に出かけましょう!
“人間万事塞翁が馬“という諺があります。
中国の古い書物に書かれている、村人と老人のおはなし
1、飼っている馬が逃げた(不幸)→このことが幸福にならないとも限らないよ。
2、馬が良い馬をたくさん連れて帰ってきた(幸)→このことが災いにならないとも限らないよ。
3、老人の息子が馬から落ち骨折した(不幸)→このことが幸福にならないとも限らないよ
4、戦があり息子は戦場に行かずに済んだ(幸)
長い人生、嬉しいこともあれば悲しいこともある。
何が幸福で何が不幸か
すぐに決まるものではない。
ストーリーがあって納得できるお話ですが
不幸ってのが、そもそもなんだろう?
『非幸』って書かないですね。
非は、本来あるべき姿があってそれに対してそうではない・よくない
不は、単純に打ち消す・足りていない
つまり
不幸は、幸せが足りていない ということなんですね。
私はなんて不幸なんだ‥と思う時もありますが
足りていないだけなんです。
秘伝のタレのように
継ぎたし継ぎたし 毎日入れて増せばいいだけなんです。
そうやって
あなた流の『幸せ秘伝だれ』ができあがるんです。
毎日の暮らしで幸せを消費してしまうから
継ぎたしをしていなければ、空っぽになります。
落ち込んでしまうのは、空っぽになったから。
でも安心してください
そのぶん、幸せ濃度が高い状態で残ってますから!
占いを見たり
何かいいことありそうだなってことを
幸せを+(たす)ことをどんどんしてみてください。
自業自得を
良いこととして使わないのは、
自らの業に
+(たす)ことが足りていなかったから
自らの得に
達することができなかった。
まだまだ+ができたよ ってこと。
タレの継ぎたし量が少なかったから
幸せに届かなくて、得られなかったわけです。
あら、もったいない
まだ継ぎたす余地があったようです。
つまり
自分が思っているよりも、あなたの器は大きいってことです。
まだまだ継ぎたしていいんです!
だから自業自得を悪いことが起きたときに言うのです。
さあ、あなた流の『幸せ秘伝だれ』に
今日は何を継ぎたしますか?
あ、そうそう
このことが幸福にならないとも限らないよ。
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