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畠山重忠を巡る旅

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」をきっかけに畠山重忠という武将に心底惚れた私。
ニワカながらも自分なりに勉強し、重忠さまについて理解を深めてきたつもりです。

人物像の解像度をさらに上げるためには、フィールドワークが必要!
というわけでこれまでに訪れた、畠山重忠ゆかりの地やおすすめグルメなどをご紹介します。

①畠山重忠公史跡公園

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埼玉県深谷市畠山510−2

まずはここから。
畠山重忠の父、畠山重能の館がありここで重忠さまが生まれたと伝わっています。

三日月を背負う重忠さま

畠山重忠の像です。
一ノ谷の戦いで鵯越の逆落しをする際、愛馬に怪我をさせないために馬を担いで崖を降りたという、馬を愛し怪力エピソードに事欠かない重忠さまの姿を表しています。

本田近常の墓
発掘調査でわかったこと
畠山重忠の墓

史跡公園の中に墓所があります。
一番大きいものが重忠さまのお墓、向かって左側のものが、重忠さまに仕えた側近、本田近常さんのお墓だと伝わっています。
この墓所の下から多数の出土品が見つかっており、それらは川本出土文化財管理センターに展示されています。(後述します)

畠山重能のお墓
案内板

こちらは重忠さまの父上、重能さまのお墓です。
椎の木の根本にひっそりと佇む自然石です。

畠山重忠公産湯の井戸
産湯の井戸アップ
案内板

こちらは重忠さまが産湯として使った井戸と言われています。
重忠さまの母上については諸説あり、三浦義明の娘説、江戸重継の娘説がありますが、地元では三浦義明の娘説を取っている所が多いです。

どちらの説でも行ける系図

②満福寺

埼玉県深谷市畠山931−1
観音堂
案内板

寿永三年に、畠山重忠が再興したと伝わる寺院です。
重忠さまの位牌や、重忠さまと等身大の千手観音像が安置されております。

③井椋(いぐら)神社

 埼玉県深谷市畠山942

1125年(天治2年)、畠山重忠の父・重能が畠山に移り住んだときに、曾祖父の秩父重綱が秩父郡吉田郷芦田村の椋神社を勧請したものと伝わっています。

➃鶯の瀬

鶯の瀬を井椋神社側から撮影
埼玉県深谷市畠山942


案内板

井椋神社の裏手に流れる荒川。この近辺は増水時でも変わらぬ浅瀬なのだそうです。
重忠さまが、乳母子にして側近でもある榛沢成清の館に出向き、帰り道に豪雨に会ってしまい渡河をためらっていたところ、一羽の鶯がさえずり、浅瀬であることを教えてくれたというエピソードがあります。

⑤菅谷館跡

畠山重忠像
埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷

重忠さまが住まわれていたと伝わる菅谷館跡です。
戦国時代の城郭としても使われていたため、現在残っている土塁や堀などは戦国時代のものであり、鎌倉時代の遺構は残念ながら残っていません。
重忠さまの像はとても大きく立派で、威厳の中にも優しい面持ち。視線は鎌倉の方面を見据えています。

⑥県立嵐山史跡の博物館

埼玉県比企郡嵐山町菅谷757

重忠さまに関する資料や、館跡から出土した資料を展示しています。菅谷館跡敷地内にあります。

また、埼玉県内の城跡や寺院跡など中世遺跡から出土した、当時の生活用具や板石塔婆、赤糸威鎧や銅拍子のレプリカなども展示しています。

入口でお出迎えのロボ忠さま

ロボ忠さまはとってもイイお声でお話ししてくださるのですが、いかんせん、見た目とお声がシブすぎます…享年から考えても、おじいちゃん過ぎます…(汗)

経筒(本物)

こちらは重忠さまの曽祖父、重綱さまゆかりの平沢寺から出土したもので、鋳銅の経筒に久安4年(1148年)の銘文が刻まれており、この地一帯が秩父氏の本拠地であったことを物語っています。

赤糸威鎧のレプリカ
銅拍子のレプリカ

京文化に通じ、今様や楽器などの音曲の才能にも長けていた重忠さま。
鶴岡八幡宮で、静御前の舞に合わせて伴奏したエピソードは有名ですね。


源義高の懸仏

木曽義仲はもともとこの地嵐山で生まれました。
大蔵合戦で父の源義賢が戦に破れて討ち取られましたが、畠山重能と斉藤実盛は残された幼い駒王丸を不憫に思い、木曽の中原兼遠に託します。それが後の木曽義仲となるのです。
ですから嵐山は木曽義仲ゆかりの地でもあるのです。

⑦川本出土文化財管理センター

埼玉県深谷市菅沼1019

深谷市川本出土文化財管理センターは市内で発掘調査された出土品の保存管理を目的として設置されました。
私が訪れた時はこんな企画展をやっていました。

武蔵武士の鑑 畠山重忠展

館内には、前述した畠山重忠の墓所から発掘された出土品を中心に展示されています。

蔵骨器を当時の色で再現したもの
出土した蔵骨器を修復したもの


蔵骨器の蓋の部分
発掘の様子

この蔵骨器は3号墓からの出土で、室町時代、しかも納められていたお骨が女性と胎児のものだったということで、このお骨は重忠さまではないと思われますが…私はここに重忠さまが眠っていると考えたいです。

様々な器が出土していますが、青磁や白磁などの高級品、常滑焼や瀬戸焼など、各地の焼き物が見られることから秩父氏の財力を伺うことができます。

また、製鉄加工(タタラ)が盛んであったことも知られています。馬を育てる「牧」も所有しており、これらが財源になっていたのでしょう。

吾妻鑑
この本自体は江戸時代のもの
本田近常館跡

今回は行けませんでしたが、本田さんの館跡にも訪れてみたいと思っています。

⑧榛沢成清の陣屋跡

埼玉県深谷市後榛沢255−2

重忠さまの乳母子であり、本田近常と並ぶ側近として知られている榛沢成清。
ここに成清さんの館があったと伝わっています。前述した鶯の瀬は、ここから帰宅中のエピソードとなります。

成清さんの幟
この中に成清さんのお墓があります
とても丁寧に祀られています

今回の大河ドラマには出演しませんでしたが、36回にそれらしきお方がいらっしゃったので嬉しかったです!

番外編(おすすめグルメ)

アジアンプレートのランチ

深谷市内にある多国籍レストランの「草木万里野」さん。ランチも美味しいですし夜はお酒も楽しめます。半個室なので、デートや女子会にもオススメ。

重忠みそ
コロッケ注文したらタケノコの天麩羅付けてくれた
道の駅かわもと

道の駅かわもとでは、重忠味噌が買えます。
少しお値段は張りますが、手作り味噌なのでとても美味しいです。
農産物直売所では新鮮なお野菜も買えますし、食堂もあってちょっとした重忠コーナーもあります。

幼学綱要のパネル
重忠コーナー




野菜カレー
道の駅はなぞの

道の駅はなぞの。
(道の駅は謎のじゃないよ)花園です。
凄く広い道の駅でお土産も充実してますし、2階にはふっかちゃんミュージアムもあります。
ふっかちゃん重忠バージョンのグッズあり。

ふっかちゃん重忠バージョンのタオル
アクリルスタンドキーホルダー


あとがき

畠山重忠が生まれ育った武蔵国。
深谷、嵐山、川本近辺の縁の地を巡ってみました。
とにかく地元の人から愛されていて、色々なところで重忠さまをはじめ、成清さんや近常さんの幟が立てられています。
横浜の旭区にある二俣川周辺のゆかりの地にも、必ず訪れたいと思っています。
長くなってしまいましたが、重忠さまゆかりの地めぐりのご参考になりましたら嬉しいです。


















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