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国指定100年記念講演 石戸蒲ザクラ -伝説に彩られた奇跡のさくら- 講演会レポ

令和5年2月18日(土)
埼玉県の北本市文化センターにおいて行われた講演会の内容をレポートします!

ではまず初めに石戸蒲ザクラについて紹介しますね。

北本市観光協会より画像をお借りしました
(画像をクリックすると観光協会のページに飛べます)

“北本市の源範頼伝説”
石戸宿の伝説では、源範頼は伊豆で殺されずに石戸の地まで逃れ、そこに隠れ住んでいたと伝えています。そして、逃れる際についてきた杖をポンと立てると、それが根付いて蒲ザクラになったというのです。

北本市公式ホームページより

修善寺で蒲殿は殺されてないと私は信じています!!


出会いは突然に…

北本市の訪問は二度目となります。昨年、すっかり蒲ザクラも花を落として青々とした葉を茂らせる頃に源範頼ゆかりの地めぐりで北本市や吉見町を訪れておりました。
今回のイベント前に、まずは石戸の蒲ザクラを見学し、蒲殿のお墓にお参りしてからにしよう!と心に決めカーナビをセット。
一度来てるのでスイスイと到着しましたが…なにやら東光寺近辺に人影がたくさん見えます。
あー私と同じ考えの人がいるんだな…と思いながら階段を登りました。まだこの時私は気付いていない、そこにあの方がいらっしゃるとは。

大きな大きな木が見えて来てはじめに撮った写真が、こちら。

おわかりになるだろうか…

この写真を撮ったときもまだ私は気付いてないです。どんだけにぶいの?(笑)
スーツ姿のお偉そうな方やカメラマンが忙しなく動いていらしたので、ああ今日の講演会の前に広報誌に載せる桜の撮影をしているのだろう、と思いました。そして蒲殿のお墓の写真を撮ろうと思ったその時!!!

蒲殿が、そこにいらっしゃった。
蒲殿のお墓に手を合わせている蒲殿が。

茶色のスーツで景色に同化しててわかんなかったんです(言い訳)

き、きょええええええええええ!!!!!!

私は声にならない声をあげ、心拍数はあがりっぱなし。

かっこいい


すてき


左に見える石の塔が蒲殿のお墓と伝わっています

私の他にも4〜5人の女性がいらっしゃいました。ここに蒲殿がいらっしゃるってどこで情報手に入れたのだろう…

すると、一人のおじさまが「どちらからいらしたんですか?」などと声を掛けてくださって。
その方実は市長さんだったのですが、その時は分からなくてめっちゃ話しやすいおじさまだと思っていました…失礼極まりないですね…

で、撮影の様子を見学しているうちに気付いたのです。
その場にいらした女性陣は、ガチの迫田孝也さんのファンなのだということに。

私はお邪魔しないようその場からスゥ~っと離れました…

ちなみにその後は保管庫内の板石塔婆群を見せてもらえたり、撮影会のように色んなポーズの写真や動画も撮らせてもらえたりしたそうです…
(写真写りの良いものは掲載許可とのことです)

石戸蒲ザクラ及び東光寺の写真については、レポートの第二弾でお伝えしたいと思いますのでお楽しみに!

その後少し離れた石戸神社や、蒲ザクラの後継樹などを見て、お昼ご飯にしました。

お昼ごはんについても第二弾レポートの方でお知らせしたいと思います!
ではここから講演会の内容に移りますね。

…前置きが長いんじゃ!(千鳥のノブ風)


会場の看板

市長あいさつ

北本市の市長さんが登場し、あっ!あの話しやすいおじさま!!と気付いた私(笑)

ここに来る前に迫田さんに蒲ザクラを見て頂いて、台風で木が一部折れてしまったあと、ひこばえの枝が生えてきているところに触れて「気」を注入していただいた。800年前に蒲殿がこの地にこの桜をもたらしてくれて、現在になってまた蒲殿がこの桜に触れてくださった。こんなに嬉しいことはない。
というご挨拶でした。確かにこんなに嬉しい、激エモなシチュエーションはなかなかありませんよね。

【基調講演】「生物多様性の時代だからこそ貴重な石戸蒲ザクラ」

講師:和田博幸氏(公益財団法人日本花の会 特任研究員)
専門的な話もありますので、箇条書きでまとめます。
・蒲ザクラは江戸時代後期の地誌、日記、随筆などに数多く取り上げられており、その雄大な姿は渡辺崋山や滝沢馬琴などによって広く広まることとなり、文人墨客から注目を集めていた。
・蒲ザクラは100年前に国の天然記念物に指定され、調査や保存のために沢山の人が関わっている。
・DNA鑑定などからヤマザクラとエドヒガンの交雑種だという見解に至っている。つまり「蒲ザクラ」という独立種である。
・戦後、大々的な樹勢回復の取り組みが行われており、一時は枯死寸前だったけれど現在はまた雄大な姿を見せている。
・ヒートアイランド現象や温暖化により極度な土の乾燥や温度上昇がみられており、その都度のモニタリング、観察を続けていく必要がある。

といったかんじの内容でした。

【講演】「北本の範頼伝説」

講師:北本市教育委員会文化財保護課 齊藤成元氏

・源範頼の生涯について。
・浜松市にある蒲地区(蒲御厨)で生まれたことから「蒲冠者(かばのかじゃ)」と呼ばれるようになった。
蒲地区では「蒲幼稚園」「蒲小学校」など、蒲の字をとても大切に扱っている。
(ここで蒲幼稚園のエンブレムが映し出される。大きく蒲と書いてあってとても可愛い)
また、石戸蒲ザクラの後継樹を蒲小学校に植え、大切に育てている。
・蒲殿の人物像。以前は頼朝や義経の影に隠れた目立たないイメージがあったが、平家討伐軍の大将であり鎌倉幕府創立には欠かせない存在である。
・吾妻鏡には、墨俣で部下と一緒に先陣争いをするなど勝ち気な性格もみられ、頼朝にこっぴどく怒られている記述がある(かわいそかわいい)
・頼朝から大切な馬を賜るなど兄弟仲の良さも伺え、また実直で報告も丁寧であり協力態勢が整っていた(その時は)
・前述の通り蒲殿がこの地まで逃げ延びてきた伝説があるが、なぜこの地に逃れてきたのか?
①平治の乱後、平家の目を逃れて吉見町の岩殿山安楽寺に預けられ比企氏の庇護を受けて育ったと伝わっている(近辺は比企氏の所領である)
②同じく吉見町に蒲殿の住居跡と伝わる息障院があり、蒲殿の没後は息子たちが移り住み吉見氏を名乗ったと言われている
③蒲殿の妻(亀御前)は安達盛長の娘で、比企尼の孫であるのでこの地に逃げて来たのでは?
④鴻巣市には安達盛長ゆかりの寺があったり、桶川市には足立遠元の館があったりととにかく頼れる環境である
などの理由が考えられている。

・津田大浄、滝沢馬琴、松浦静などの史料における蒲殿の没年は1200年2月5日で共通している。
頼朝から謀反を疑われ修善寺に流されたのが1193年なので、約7年間石戸で住んでいたのかもしれない。
・市内の普門寺には蒲殿の髑髏があったと伝わっている
・同じく市内の高尾阿弥陀堂には蒲殿の妻、もしくは娘の亀御前の墓がある。亀御前は蒲殿の訃報を知り、悲しみのあまり荒川に身を投げたとか…

などなど、北本市及び近隣の地域にたくさん伝わる伝説や史跡の紹介がありました。
う〜ん、ますます希望が持ててきた。蒲殿は善児に刺されたけど致命傷じゃなかったんだ!あの後、桜の枝を杖にしてここまで逃れてきたに違いない!!!(大河ドラマの世界観と混ぜてはいけません)

【記念トークショー】「源範頼と蒲ザクラ」


鎌倉殿の13人 源範頼役 迫田孝也氏

さて、いよいよ迫田さんの登場です。
「800年前からエスケープしてまいりました!源範頼を演じました迫田孝也です!」と元気よく自己紹介しながら三本指ピース!(どうやら三河守を表しているようです)
進行役は教育委員会文化財保護課の坂田さん。
サカタとサコダ、響きが似ているので迫田さんは嬉しそうですw
市内の小学生は3年生になると皆で石戸蒲ザクラまで遠足に来て、蒲殿について学ぶ機会があるという前フリからトークがスタート。

坂田氏「源範頼役が決まった時のエピソードを教えてください」
迫田さん「会議室でプロデューサーに呼ばれて、源範頼を演じてくださいと言われました。はっきり言ってよく知らない人物でした。しかし、頼朝の弟です、義経の兄です、源氏です、ときたらおぉ~良いじゃない!となりました。脚本は三谷幸喜さんだと伺ったので、それならよく書いてもらえそうだと安心しました」

2020年12月、まだ麒麟がくるが放映されている最中、迫田さんは北本市を訪れて蒲ザクラや息障院、安楽寺などゆかりの地めぐりをして役作りの参考にしていたそうです。よっ役者の鏡!

坂田氏「三谷幸喜さんから演じるにあたってのオーダーはありましたか?」
迫田さん「範頼は今まで歴史的評価が低かったので、そうじゃないことを伝えたいと言われました。私も史料を拾い集め、理解に務めました」

ドラマ内で蒲殿はほんっとうに良い人でしたよね。壇ノ浦に沈んだ宝剣をずっと探してたり、仮病の能員殿に「風邪は寝るのが一番」って言ったり。謀反なんて一ミリも考えてなかったし、どうして頼朝さんは疑ってしまったの???
と「変わらぬ人」回を思い出して泣きそうになる私でした。再評価されましたね、蒲殿(涙)

坂田氏「演じるに当たって苦労した点はありますか?」
迫田さん「皆さんご存知のように、僕は範頼と性格のギャップが大きくて。ほら、僕は前に前に出て行くでしょ、圧が強いんですよwだけど範頼は微笑ましく兄上を見守る。一歩引いて兄上を支えるでしょ、その引き方のさじ加減が難しかったですね。だから義経が兄上ーー!!ってやってたらホントは僕も兄上ーーーー!!ってやりたかったんですよ」
(会場爆笑)
坂田氏「共演者とのエピソードはありますか?」
迫田さん「源氏兄弟があのドラマには5人出てたんですけどなかなかスケジュール合わなくて集まれなかったんです。だけど奇跡的に2日間スケジュールが同じ日があったんです。ちょうど義円がオールアップの日にかぶってて、折角集まったからみんなで写真を撮りました。みんない〜い笑顔の写真でしたよ、ホントは殺伐としたストーリーなのにw」
坂田氏「影響を受けた俳優さんはいますか?」
迫田さん「やはり大泉洋さんですね。頼朝兄上のことは、演じていない時も常に意識していました」
坂田氏「気に入っているシーンはありますか?」
迫田さん「やはり頼朝兄上に起請文を書いて弁解するシーンですね。実は演じる前、大泉洋さんも僕もあのシーンをどう演じたらいいかお互いにしっくりきてなかったんですよ。だから洋さんに相談しました。洋さんは、頼朝は範頼に納得行くまで弁解してもらって、説き伏せられたかったんじゃないかなって。だけど範頼はあっさりと、結構に御座いますと引き下がってしまった。それが兄弟の決定的な決別になったと。そこで二人とも凄くしっくり来ました。迫田、大泉としてはしっくり来てるけど、頼朝、範頼としてはしっくり来てない。それがうまく演じられてとても不思議な感覚でした」
坂田氏「ここで参加者からの質問が届いています。俳優業を続けていくにあたり、範頼を演じてプラスになったことはありますか?」
迫田さん「それはやっぱり”引き"の演技の引き出しが増えたことですね!情熱を秘めつつ…っていうw」

坂田氏「もうテレビ出演引っ張りだこですもんね」
迫田さん「引っ張りだこでもないですよ…あ、そうそう!お会いする方皆さんが、あっクイズ番組こないだ出られてましたね、あっクイズ番組で見ましたって声掛けてくださるんですけど、クイズ番組の他にも出てるの!!!!」(大爆笑)
坂田氏「もう一つ質問が来てます。桜に関する思い出はありますか?」
迫田さん「それはもう酔っ払った思い出しかないですね。本当はお花見もしたいんですけど、さすがにシート引いてお弁当とお酒ってのはねえ…あっあの人!ってなるから遠慮してます」
坂田氏「迫田さんは鹿児島のご出身ですが、鹿児島で有名な桜はありますか?」
迫田さん「それ聞いちゃいます…?鹿児島で桜って言ったら…桜島ですよ!」(拍手喝采)

坂田氏「ではここで、今日の講演会に参加された皆様がどこからいらしたのかご紹介しますね」
スクリーンに大きな日本地図が映し出され、参加者の都道府県に桜マークが付いていきます。
会場からおぉ~っ、と声が上がります。
北海道、福岡、長野など遠方から参加してる方もいらっしゃいました。みんな蒲殿&迫田さんへの愛がスゴイ!!!

そして今日の蒲ザクラ訪問の様子や、範頼そばを食べる様子、北本のゆるキャラ「トマちゃん」のぬいぐるみをもって撮影する様子などの写真が映し出されました。
迫田さん「あートマちゃんって言うんだ。どうですか、僕モデルの縄文くんってキャラ作りませんか」(爆笑)
実は北本に大きな縄文遺跡があるのですよね。
作って欲しい、縄文くん。

坂田氏「クランクアップ時のエピソードはありますか?」
迫田さん「僕のオールアップはあの起請文のシーンなんですよ。で、迫田さんオールアップです!って声がかかって、その場にいた小栗くんが花束をくれて。そのシーンにいなかったやじゅさんとか、大野さんとか、野添さんが来てくれたんだけど4人しか来なかったんですよ。で、あー終わったなって楽屋に戻ったら獅童さんとか横田さんとかがせっせとお髭を付けてて、最後に行きたかったとは言ってくれましたけど多分そんなに思ってなかったと思いますよ。しかも最後の挨拶が面白くねぇって言われたし」(爆笑)
坂田氏「では、最後に参加している皆様にメッセージをお願いします」
迫田さん「範頼がついてきた杖が桜となりこの地に現在も残っています。今日、ひこばえの枝に触れたとき、当時に戻ったような感覚がありました。是非とも子孫の代までこの桜を残していただきたいです。範頼からもよろしくお願いします」

その後、閉会の挨拶の間、会場の皆さんに手を振ったり、話しかけたりして話を聞いてない迫田さんw
ホントにファンサの神です。一度お会いしたら虜になるのも納得。私もさらにファンになりました。

以上で北本市の講演会レポートを終わりにします。
第二弾ではここでご紹介した息障院や安楽寺、範頼そばなどのグルメ情報をお届けしたいとおもいます!

いつもながら長くなってしまいましたが最後まで読んで頂きありがとうございました。











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