モチベーション
初めの頃は熱狂的に視聴していたひかきみですが、徐々にモチベーションが下がり気味。
史実と違う!平安時代にはありえない!
という憤りではなく、ただ単にストーリー展開が好みではないから。
先日文春の記事にもなっていたけれど、脚本家先生の価値観は私には合わない。
夫公認で恋人がいただとか、夫にも恋人がいただとか、22歳下の男性を押し倒したとか…先生のオープンマリッジ的な結婚観、性癖、願望が色濃く脚本に現れている気がして。
さらに紫式部は清少納言と格が違うと。
同時代の女流文学者同志ではあるけれど、ジャンルが違う2人を比べようもないし、順位を付けるものでもない。どちらも違ってどちらも良いのに…
…平安時代の性はとてもフリーだった。
不義密通もたくさんあった。
妾や召人は妻に承認されていた。
だって源氏物語はそういうシチュエーションの話がたくさん描かれているのだから…
という先生のお考えはわかる。
わかるんだよ。
だけどだからといってどこでも誰でもやりまくってたら家という概念はなくなるし犬や猫とおんなじでしょ。
彰子さまと敦康親王も藤壺と光源氏みたいな感じにする気がするし、和泉式部は必要以上にエロ姐さんだし、なんかこうゲスい。
不義の子設定の賢子ちゃんもこれからどう描くつもりなんだろう。
不義の子設定にした意味がきちんと描かれるのかどうか。そこが最終的な評価のわかれ目になる気がする。
道兼が殺人者っていう設定にもイマイチストーリー上の必要性が感じられなかった…第一話のインパクト要員、並びに道まひの恋の障害要員。
その他には見いだせなかった。
為時一家への贖罪もなかったし、まひろも簡単に許していたし。
あと道長が超ホワイトなのも違和感しかない。
道長の行動原理がまひろ好き好きパワーだけなのがなんとも薄っぺらい。
いくら運命の人だとしても、そう長い事燃えるような想いって継続しないと思うし、権勢欲無しで摂政まで上り詰めるってどう考えても無理でしょ。
道長の本心がこれから描かれるのかもしれないけど、闇落ちはしないって公言してるからたぶん兼家みたいにはならないと思う。
逆に兼家みたいになればスッキリするんだけどなぁ。
道長役の中の人がたいそうお気に入りみたいで、だから悪く書きたくないみたいな思いがチラチラ見えるのも嫌。
なんで?
色んな役を演じることで俳優さんの魅力は増すのでしょ?権謀術数に長けた政治家、うまく演じたら評価爆上がりですよ?彼なら余裕で出来るでしょうし。
道まひ萌え萌えで見ている人にも共感できないし、かと言って史実ガーの人、中関白家推しの人の酷い言い様にも共感できない。
道まひ以外の面白さはあるし衣装セットの豪華さや俳優陣の演技には惜しみない拍手を送るけれど、肝心の主人公に感情移入できない人物造形はかなり致命的。
年末までに逆転ホームランで全て納得させるような結末に持っていけるのかな。
Xでつぶやくと思わぬ所から被弾するのでこちらで吐き出しました。