ピノノワール
昨年11月のワイン会はテーマがピノ・ノワールでした。なので少しピノの話をしましょう。実は・・僕は「ワイン呑みはピノで始まりピノで終わる」と密かに思っています。
ワインの深い森を30年も40年も彷徨ったあと、人は何時の間にかピノに戻るものだと思うのです。無数のトライアンドエラーの向こうに、再度ピノが立ち現れるのは、斯ほどピノが裾野幅広くそして奥深い葡萄だからだ・・とも思います。
mikiでもワインビギナーにおススメする際は、必ず選択肢の一つにピノ(フレンチ)を加えます。ピノは、ワインの入り口として最も王道な里程として、舌に残ると思うからです。ぜひピノから初めて、ワインの深い森を彷徨していただきたい・・と。
ところが初見のオッサンには「薄い・水で薄めてるのか」といわれることがある。「もっと渋いのをくれ。フルボディをくれ」と言われてしまいます。渋いと苦いは違うんですが・・そういう方には、典型的なボルドー/フルボディをだしてもダメです。陽が当たった/あるいは棚に何年も放置された、苦く変質したワインじゃないとyesがもらえない。悪貨良貨を駆逐すという奴ですね。
ワイン呑み始めに、何を心の真ん中に里程標として置くか・・これで以降の進むべき道は決まってしまう。そんな風に思います。その意味でもピノは、最初に置く里程標として最も相応しいワインではないでしょうか?
僕の場合。最初のワインとの出会いはブルゴーニュでした。僕は学生時代からウィスキー呑みでワインには全く関心がなかった。ワインに出会ったのは40代に入ってからです。僕にワインを教えたのは往時働いていた会社の上司でした。接待の席です。彼は接待に入る前に必ず今夜使うワインのレクチャーをしてくれました。
彼の話の中で最も印象に残ったのは「黄金の丘に生きるアンリ・ジャイエ」のことでした。彼は殊の外ジャイエのピノがお気に入りで、何度も接待の席の前に僕へ「黄金の丘」の話を滔々と語ってくれた。もちろん席上で彼がクライアントを相手に薀蓄を並べることはない。しかし薀蓄ないところで紡ぐ言葉は空疎なだけ、ということを彼は暗に教えてくれたのだと思います。
「いいか。一流の仕事をするのは至難だ。しかし趣味は一流でいろ。そうすればいつの間にか一流の仕事が出来るようになる。趣味が二流三流の奴は生涯仕事も二流三流だ。」
彼はよくそう言ってました。
でも。これが僕に「ワインは接待の酒、ウィスキーは個人で呑む酒」という刷り込みをしてしまったように思います。おかげで溺れるほど呑んだワインでしたが、本当のところ一度も堪能したことがなかった・・というのが本音です。
ワインを「美味しく」を飲むようになったのは・・子供たちが大人の道を進み始めて、自宅の食卓にワインが並ぶようになってからです。したがって今の僕にとって、ワインは家族と共に楽しむ酒。心通じた友と共に交わす酒。
そんな立ち位置にある酒です。
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