回転、変移、営みを
春は晴れた日が好きだ。
私は四季の中で春の青空が一番綺麗だと思っている。夏のように真っ青なわけでもなく、秋のように何か物足りない薄い青でもなく、冬のように灰色がかった寂しい青でもない。春には春だけの青があると思っている。そんな青空を背景に桜を見ると、そのお陰で桜がもっと綺麗に見える。それらを見ていると、どこか幸せな気分になる。
春の息吹は優しい。頬を撫でていく風は、ときに花の香を纏い、ときに愛情のような温かさをもっている。あの風をふと感じると、心の僅かな憂鬱も影を潜めてしまう。
夏は夕方の晴れが好きだ。あたりはまだ蒸し暑く、しかしあの煩い太陽の光は赤く弱くなっていて、まだ過ごしやすいところが好きだ。私はそもそも夏は暑くて嫌いなのだが、この時間帯の散歩は独特の楽しさがある。そのまま日が暮れるまで歩くのも変化に富んで面白い。
私は夏という季節が大嫌いだ。晴れていようと雨が降ろうと、並べて気が滅入るほど暑いからだ。いつか本当に溶けて水溜りにでもなってしまうかと思えるような熱波を浴びながら、どうしようもない不満と怒りを沸々と感じていると、ふと目につくのである。笑えてくるほど気持ち良く晴れた青空、強い日光に負けじと現れるくっきりとした影、このコントラストの強い一瞬を。これを見て美しく感じると同時に、してやられたかのように思ってしまう。嫌いでも美しいものは美しい。嫌なやつだが、どこか憎めない。そんな印象を、その一瞬に見出してしまう。
秋に関しては、昼下がりの曇天と雨天、真夜中の晴天が好きだ。
昼下がりの曇りは秋特有の寂しさが強調されて非常にいい。そんな曇りを背景に、紅葉を纏った樹々を眺めるとより一層美しく感じられる。薄寒く乾いていて、枯れ葉の僅かに芳しい香りを纏った風も味わい深い。
雨天に関しては、秋の寂しさを肌で感じられるから好きだ。蕭々と降る雨の方がいい。香りを強くする枯れ葉もまた美しい。
そして真夜中の晴天は、月を拝めるから好きだ。秋の月は四季のなかで一番美しい。秋の日没後数時間の夜空は濃淡のある紺色で、まるでベルベットのような感覚だ。そんな夜空に浮かぶ黄金の望月ほど美しいものはない。この夜空に関しては都市部の方が良い。周りに星が無い分、ベルベットの空が月の美しさをより際立てて、一層味わい深くなる。
冬は気が滅入るほどの曇天が好きだ。今にも雨が降りそうで、灰色がとても濃いものだ。ところどころに濃淡があっても良い。そんな雲を背景に葉を落としきった木を見上げると、1年の終わりがよく感じられる。秋の寂しさとはまた違う、何かを失った時と似た感情が湧いてくる。
春は憂鬱を忘れさせてくれるが、冬は寒さも相まって憂鬱に沈むことが多い。とくに、冬の曇りの日の河川敷ほど憂鬱を感じられる場所はない。憂鬱は嫌いではない。憂鬱を感じるときの、心の空白、その感触が好きだ。埋められないほうが美しい。破片が過去にあるのなら素晴らしい。喪失感をおぼえるのなら尚のこと。私はこの心地を味わうために、わざわざ憂鬱の中に飛び込むことがある。気は滅入るが、しかし忘れてはならぬ心地であるために、意気消沈は対価であるとして納得した。
冬、夜、孤独、河辺、都市の明かり、白い吐息、街の鼓動。これらの揃うときが、私の人生、四季の輪の中で最も嬉しく美しく、そしてもっとも満ち足りなく憂鬱な、なんとも形容し難い時間である。
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