気が付いたら幽狐に癒されてます。
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【1話:幽狐】
俺の名前は宮本香。
どこにでもいる一般的な学生だ。
ただ、少し違うとするな、俺が高校に入る前に両親が交通事故で他界した。
それ以外はどこにでもいる平凡な高校生だ。
朝起きて高校に行き、学校が終わってバイトをして家に帰りカップラーメンやコンビニに売っている野菜を食べて生活している。
そして今日も学校に行き、バイトをし――。
そんな生活にじれったさを感じていた。
なにか天変地異でも起きないものか。
そんなことを考えながら家に帰宅すると――。
「おかえりなのじゃーー!!」
「…………」
多分幻覚だろう。
疲れてるに違いない。うん。
そう思い込んで玄関を通り過ぎる。
「なぜ無視するのかの?」
「……君は一体誰なんだい?」
夢だろうと思いこみ、一応質問してみる。
「……おぬし、『これは夢だろ』とか思っているのじゃろ」
「実際そうだと思うけどな」
「夢じゃないのじゃ! 現実なのじゃ!」
「じゃあ、頬でも引っ張ってみてよ。ついでに君が何者なのかも教えてよ」
そういい、頬がやさしく引っ張られる。
痛みは無いが確かな肌の感触があった。
「……そうじゃの。わらわは幽狐と言ってな、この辺りにある七星天満宮の由緒正しき神じゃからじゃ!」
「……!?」
七星天満宮といえば、神様が宴をすると聞いたことがある。
そのほかにも各所のお坊さんが集い、新年度などにお祭りをやるとして有名だ。
そこの神社の神様……?
大変な人と出会ってしまったかもしれない。
「まあ、いいです。一つ聞きたいんですが」
「なんじゃ?」
「なぜうちに来たんです? 行くならもっと他の人の家もあったのになぜうちに?」
すると幽狐さんは微笑んで唇に手を当てた。
「それは内緒じゃ。わらわの条件を一つ飲んでくれるなら考えなくもないぞよ」
「そんな……。じゃあ僕は一体何をすれば良いですかね」
「とりあえずわらわと生活をしてればよい。そしてたくさん甘えるがよい」
「?????????????」
ぶっちゃけ何を言っているのかわからなかった。
神様と同居アンド甘える???????
……ワッツ?
「ちなみにじゃが」
「はい」
何か真剣そうな顔をしてずい、と迫る幽狐さん。
何か大切なことでもあるのだろうか。
毎日何かお供えをしろ、とか。
「わらわを追い出したり殴ったりした際は天の雷が降ってくるから気を付けるのじゃぞ」
「は、はい」
けして暴力沙汰はできないと肝に銘じた。
……いや、そもそも神様を殴るって何があったの?
誰かと戦争でもしてた?
ま、まあ気にしたら負けだ。
気にしないことにした。
「とはいっても、甘えるって何をすればいいんですか?」
気になるので聞いてみた。
「とりあえずは好きなようにしていればよい。おぬしのことやし、何をすればいいかなどの質問は知っておったわい。まずはこうじゃ」
そういって頭が温もりに包まれる。
視界が横になる。
「まずは膝枕じゃ! おぬしはこういうの好きじゃろ?」
「…………」
嘘でも嫌と言えない自分が嫌になってくる。
好きです。膝枕。
「とても鼻の下が伸びておるな。これは好きだということかの」
……やはり幽狐さんはエスパーだ。
「わらわはエスパーというかおぬしの感情がわかりやすすぎるだけなのじゃ」
「はあ……」
絶対嘘だと思っているが、一応最後まで話を聞く。
「よいか。お主は感情表現が下手なのに顔にはよく出る。じゃから、自分の言いたいことをもっと素直に言うのもありじゃぞ」
なるほど。他者からはそう見えているのか。
なんか否定できない自分が悲しい。
「……まあ、幽狐さんの言いたいことはなんとなくわかりました」
幽狐さんがパアッと顔を輝かせる。
いかにもうれしそうな顔だ。
「そうかそうか。良い子じゃのお主は」
そういって頭がなでられる。
誰かに撫でられることが久々なのでなつかしさを感じた。
そして謎に安心感を覚えた。
「お主は頑張りすぎなのじゃ。息つく間もなくいろいろなことに忙殺されておる。なのに家に帰ると誰もいずに一人寂しい。そんな悲しいことがあってたまるか。ましてはお主はまだ学生とやらじゃろ。学生なんて子供に等しいのじゃ。本来は甘やかされるべきなのじゃ」
「…………」
なんか納得いかないけどなぜか理解できてしまう自分がいる。
そして自分はまだ子供なんだな、と納得してしまう。
「なに、子供といえどまれに大人以上の秀才なものもおる。お主はその類なのじゃ。何も心配いらぬ」
「そう……ですか」
大人か……。
考えたこともなかったな。
俺が立派な大人になったらどんな生き方をしているのだろうか。
微塵も想像がつかない。
それでも自立しているといいな。
そんなことを考える自分がいた。
「……大人になっても幽狐さんと一緒に居れたらいいですね」
そんなことを口走っていた。
すると幽狐さんは微笑んでこう言う。
「やっと本音が聞けたのじゃ。その調子で自分に素直になることを目標にするのじゃ」
「……はい」
今は素直に頷ける。
「なら、聞いてもらえますか。僕の外での世界」
「もちろんじゃ」
◀
中学時代、僕はクラスの中心人物的な存在だった。
クラスメート、所謂友達はみんな俺を慕ってくれた。
「香! 今日遊び行こうぜ!」
「おう!」
そんな感じでしょっちゅう遊びにも誘われた。
でもとある事件で俺の心境や友達との関りも激変した。
親と親友の親が衝突したのだ。
少しの価値観の違いで着火し、大爆発をした。
そのせいで僕は孤立し、親同士で喧嘩も絶えなくなった。
目があえば喧嘩をし、親友を守り、何かと俺のせいにしたがる父親と僕を守り何かと親友のせいにしたがる母親。
やがて俺がASD(*1)でやつれ精神科に通うことになった。
精神科に通いだせ居てからというもの、鬱症状が進行し、俺を蝕んだ。
日頃から「死にたい」などの闇を抱えるようになり、「両親もろともいなくなればいいのに」などと懇願していた。
そう思った次の年。
高校受験年になった1月になった瞬間、父が交通事故で、母が末期癌で他界した。
涙は流れなかった。
「これで解放される」と喜んでもいた。
それと同時にクラスメートからのいじめが始まり、学校に行かなくなった。
成績は十分にあったため高校進学には困らなかった。
それでも「形だけでも学校に来い」などという担任の暴言にも屈せずに保健室登校をしていた。
保健室の先生とは特段仲が良かった。
他の先生と違って無理なことを言わない。
所謂「癒し」であり「オアシス」だった。
朝起きて九時に保健室に行き自習をしながら保健室に余っていたパソコンでレポートなどを書いたりしていた。
稀に保健室の先生「小日向 葵」先生は勉強を教えてくれたりした。
主に苦手だった英語は葵先生は得意などと言い手取り足取り教えてくれた。
勉強自体は苦ではなかった。
基本的に成績はオール5だったし遅刻なども少なかった。
それでいても保健室登校の理由を話せと横暴なことも言われた。
それで正直に話してもいいことがないと思い嘘をついた。
一部は本音を話したが八割がた嘘でできた出鱈目だった。
クラスメートが全員嫌いだということ。
クラスに居たら気持ちが悪くなること。
「自分」という存在が嫌なこと。
この辺りは出鱈目だ。
だが先生は碌に信用しなかった。
だから嘘をついた。
ごまかした。
現実から逃げた。
それでも葵先生は怒らなかった。
否定しなかった。
段々と自分が信用していい相手と判断できた。
そして本音を話した。
とある日を境に機能不全家族(*2)になったこと。
親友に裏切られたこと。
両親ともに他界したこと。
いじめが始まり速やかに悪化したこと。
一から百まで葵先生には嘘偽りなく話した。
先生は否定しなかった。
話を遮らなかった。
ずっと親身に受け止めてくれた。
そんなところに少し好意を抱いていた。
そしてその日の精神科にて「うつ病」と正式に診断された。
うつ病の治療が始まった。
抗うつ薬、抗不安薬、精神安定剤などの一度にたくさんの薬を処方された。
一回で10錠を容易に超える。
飲み始めはかなりの量で一回に飲み切ることもできず何度かに分けて飲み、体に合わない薬は吐いてしまった。
そんな生き地獄みたいな経験をしていた。
でも。
俺には葵先生がいた。
親身になって話を聞いてくれた。
すべてを受け止めてくれた。
そんなところに好感度は日に日に上昇していた。
中学卒業時に告白をしようとも考えた。
でも理性が働いてできなかった。
「先生とは付き合えないから」
そんな一言で俺の夢は潰え、我慢をより強いられる事態になった。
そんな生活は嫌だった。
でも連絡先は欲しかった。
だから連絡先を教えてほしいというと快く教えてくれた。
そこから葵先生との会話する時間が増えた。
電話越しに、チャット越しに、対面に。
少しだけでも葵先生と話せるのが何よりも幸福だった。
「この時間が永遠に続けばいいのに」
何度この言葉を願ったか。
今思えば葵先生は少し特徴的な話し方をしていた。
広島訛りらしき口語と対象を思わせるような髪型やアクセサリー。
そして迎えた卒業式。
クラスメートが一度に保健室に押し寄せ今までの言動を謝罪してきた。
いじめたことなど。
俺は本心からの謝罪と理解できそれを受け入れた。
今までのことはかなりのストレスだったが許せる気持ちになった。
高校は県のなかでもかなり有名な場所へ合格し、クラスメートもかなり祝福していた。
あまつさえプレゼントや謝罪の菓子折りなどをくれた。
クラスメートとはこれからもうまくやっていけそうだ。
そして残る問題。
小日向葵先生に告白するか否か。
でも本心は決まっていた。
告白をすると。
%
卒業式が終わり、人々は親と記念撮影のために散っている。
そんな中、俺と小日向先生は面向かって二人で座っている。
「香くんは写真撮らなくていいのかや?」
「俺はいいんです。写真を残す予定もないし親もいないし」
「難儀じゃの……。そうじゃ、わしと一緒に写真を撮るのはどうかの?」
「……それはいいですね」
そういいスマホを構え、写真を撮る。
「これは宝物にします」
「そうかそうか。最後までよう耐えおったの。えらいのじゃ」
「葵先生が居なかったら今頃死んでましたよ」
「そう悲しいことを言うでない。今日は大切な日なのじゃからな」
「…………そうですね」
心臓が今までにないくらいドキドキ言っている。
おそらく顔も赤いだろう。
「……あの、小日向先生」
「なんじゃ?」
今、思いっきり思っていた感情を当ててやろう。
それで玉砕しても別に構わない。
「俺、小日向先生が好きです。今までのような友情的なものではなくて恋愛的な感情で」
「……一応、理由を聞かせてもらってもよいかの?」
「……はい。俺の両親が死んでからクラスメートのいじめがひどくなり逃げ込んできたのが保健室でした。小日向先生は嫌そうな顔も、追い返すようなこともせずに俺を受け入れてくれました。しかも俺が受験期真っただ中で勉強まで教えてくれたり、俺からしたら信用の薄い先生からもかばってくれました。そんな些細なところに少しずつ安心感を覚え、同時に信用性、恋愛感情も芽生えてきました。でも、今まで「先生と生徒」という壁で告白ができなかったけど、今日以降、俺は完全にこことは切り離しなのでどうせなら告白してからここを去りたいな、と思いました」
心臓の鼓動が早まり、血圧が上がるのが身を挺して感じれる。
相変わらず葵先生は何も言わずに話を聞いている。
「……だから、葵先生が嫌なら諦めます。なのでもしよかったら俺と付き合ってください!」
「…………」
葵先生は少し黙り込んだ。
もしかしたら嫌なのかもしれない。
そんな恐怖と闘いながら葵先生の言葉を待つ。
「香君は、わしみたいな人がええのか?」
「はい」
「もしこの学校にばれたとしてもいいのかの?」
「覚悟の上です」
「責任取って結婚しろなんて言われたら実際に結婚してくれるのかの?」
「葵先生なら大歓迎です」
「……すぐに答えを出すから少しだけ待っててほしいのじゃ」
「……はい」
「なに、心配することはないのじゃ。気持ちを整理してからベストアンサーを出す時間が欲しいだけじゃ。しばしまっておれ」
「いつまでも待ってます」
「今日はもう遅いのじゃ、家まで送って行ってやるから帰るのじゃ」
「……はい」
そうして俺は家に帰った。
葵先生と手を繋ぎながら。
▶
それ以来、葵先生からは何も連絡がない。
連絡アプリに電話をかけても繋がらずチャットを送ってもいまだ未読だ。
きっと捨てられたのだろう。
そんなことを考えながら家に帰ると物の怪が一匹。
狐耳を生やし尻尾はもふもふとしている。
そしてこんなことを言った。
「久しいのじゃ!! 香!!」
ん?
久しい?
そんなことを疑問に思いながら幽狐に過去を話した。
「……以上が俺の過去です。いよいよ幽狐さんが何者なのか……えっ!?」
驚きが漏れたのは幽狐さんが泣いていたから。
過去を話しただけでなく要素などありはしないはずだ。
「……おぼえていてくれていたんじゃな」
小声でボソッと幽狐さんが言う。
「え?」
「何でもないのじゃ。なに、すぐわかる」
「そういうもんなんですかね」
「そうなのじゃ。わらわはその人の行方について知っていることがいくつかあるのじゃ。しりたいかの?」
「……! それは知りたいです」
「それならわらわが出すたった一つの条件を満たすだけじゃ」
「条件……」
ごくりと唾をのむ。
「そう気構えるでない。その条件とは——」
「——わらわと付き合うことじゃ」
「???????????????????」
え? なんで? なんでそうなっちゃうの?
もっと何かこう……。やばい儀式をやれとでも言われるのかと思ってた。
少しだけ胸をなでる。
でも。
「気持ちはうれしいのですが俺にはさっきも言った葵先生を待たないといけないので……」
「わからぬやつよの……」
なんか馬鹿にされた気がするのはきっと気のせいじゃないだろう。
幽狐さんはため息を軽く一つついてこう言った。
「このままおぬしに考えさせても一向に答えが出なさそうじゃの」
「うっ……」
図星をつかれた。
「一度しか言わぬからよく聞くのじゃ」
「はい……」
「わらわがおぬしが中学生の頃に保健室の担任をしていた小日向葵なのじゃ」
「…………」
息をのむ。
「実際にはあの中学校の保健室は保健室の先生なんていなかったからちょうどよくての。勝手に拝借していたらおぬしが来てくれたわい」
「そうだったんですね……」
確かに卒アルを見たときに保健室の先生の写真はなかった。
疑問に思いつつも卒業間近にやめてしまうから写真は撮っていないものだと思っていたが最初からいなかったらしい。
「卒業アルバムを見てもわかるじゃろ。『教員一覧』に『小日向葵』なんて人はいなかったからの」
「…………」
まさに狐につままれた気分。
「どうしたのじゃ、そんな狐につままれたような顔をしておって」
小さい背なのになぜか上から少しだけ笑われているような気がして少し悔しかった。
だけど嫌な感じはしない。
「本音はの、あの時、すごく嬉しかったのじゃ。お主がわらわに一生懸命になって考えてくれて。じゃからすごく今更にはなってし、もうたがこうやってまたお主のところに来ることができたのじゃ」
「そうなんですね……。ありがとうございます、幽狐さん」
「うむ。わらわは小日向葵として化け、お主をだましてしまった結果になってしまったかもしれない。じゃからおぬしが嫌なら今すぐに消え去ろうと約束するのじゃ。じゃが、もし嫌でないならお主と付き合ってみたいのじゃ」
幽狐さんが恥ずかしそうに、でも格好よくそう伝えてくる。
そのことを聞けただけでも俺は十分すぎた。
小日向葵先生が幽狐さんで狐だとしても。
その結果を聞けたから俺は付き合いたいと感じた。
「……わかりました。これからよろしくお願いします、幽狐」
「うむ!! よろしくなのじゃぞ、香!!」
「……はい!」
「まずはおぬしは敬語をやめることじゃな」
「神様相手に敬語辞めれる人いたら猛者ですよ……」
「そういうもんなのかの」
「そういうものですね」
「ふーむ……。まぁ、よい。時期に慣れるじゃろ」
「そうだといいですね……」
そんなあいまいな返事をしながらお風呂の準備をする。
「お主は一体何をしとるのじゃ?」
「風呂の準備です。現代の人間には浴槽がだいたい浴槽が一家に一台ありますね」
「おぉ、そうなのかの。湯治にわざわざ行かなくてもよくなったのかの!」
「そういうことですね」
なぜか感激している幽狐。
昔の感覚がまだ抜けきらないのだろう。
「そうじゃ! お主と付人になれたのじゃし、一緒にふろに入るかの」
「えっ!?」
「いやじゃったか?」
「嫌とかではないんですけお……。なんか幽狐さんってたまにぶっ飛んだこと言いますよね」
「そうかの? 昔……明治時代生まれからしたら普通やぞ」
「確かにそうかもしれませんが……」
そうだけどそうじゃない。
単純に女性と混浴は恥ずかしい。
そして幽狐さんが何かに察したのか口角を上げにやりとほほ笑む。
「なんじゃおぬし、わらわと入るのが恥ずかしいのかの。初心なやつよの」
「完全にばれてる……」
「だから言うたじゃろ、おぬしは単純だと。見てるこっちが恥ずかしくなるぐらい単純やからいじりがいがあるわ」
「ぐっ……」
少しは隠してるつもりなのだが……。
そんなに単純な自分が悲しくなる。
「……まぁ、わらわ以外にわかるものはおらぬがな」
「そうなんですか?」
「うむ。おぬしも他人への感情の隠し方が元から備わっているからの。わらわになればすぐわかるがの」
「『も』?」
「おぬしの祖先じゃ」
「祖先……」
祖先のことなんて一回も考えたことなかった。
そんなに俺らの家計は感情が特定の人物にはわかりやすいのか。
なんか残念な家計だな。
「まぁ、そう落ち込むでない。感情が分かりやすいのは悪いことではないぞ」
「ふむ……」
「しておぬしや」
「ん?」
「風呂は入らぬのかの?」
「あっ」
完全に湯舟が沸いてしばらくたっていた。
なんか拒否しても幽狐さんに悪いし一緒に入ることにした。
「わかりました。入りましょう」
「うむ!」
//
幽狐さんと、というか女性と初めて一緒に湯舟に入る。
もちろんバスタオルは巻いた状態で風呂に入る。
それでもかなり緊張するのが事実だった。
「お邪魔するぞ」
幽狐さんの登場だ。
幽狐さんはバスタオルなんてものは巻いておらず身一つで風呂に入って来た。
「ゆ、幽狐さん、タオルは……?」
「そんなものは体をふく時だけでよい」
「…………」
まぁ、思ってた通りの回答だったがタオルを巻いているこっちが恥ずかしくなってくる。
「なんじゃ、おぬしはタオルを巻いているではないか。何故かの?」
「なぜというか現代の日本人は羞恥心が増しているので。そもそも二人で風呂に入ること自体がレアなんです」
「そうなのかの」
なぜか肩を落としてがっかりする幽狐さん。
なぜだ。
「ま、まあ背中流しますよ」
「うむ、頼むのじゃ」
「はい」
介護の仕事をしている知り合いに丁寧な風呂の入り方を昔聞いた覚えがある。
まさかこんなところで発揮できるとは思いもしなかった。
まあ、深くは考えないようにした。
幽狐さんの背中にやさしく触れる。
泡立たせたスポンジで丁寧に洗う。
「!」
幽狐さんがはっとした顔でこちらを見る。
「なんという絶妙な力加減……お主がこれほどの力を持っておったとは……!」
「力?」
なんか意味わからないことを言っているが無視しよう。
そのあとも全身を隈なく洗い、シャワーで流す。
「じゃあ幽狐さんは湯舟に入っててください。俺も体洗っちゃうんで」
「なに、わらわも流してやるぞ」
体が硬直する。
触るのは慣れてても触られるのは慣れてない。
そもそもバイトしていたのは老人ホームだから体を洗うこともめったにない。
「それとも何か嫌なことでもあったのかの?」
おずおずと幽狐さんが聞いてくる。
「いや、単純に慣れてないだけです。嫌なことはありませんでした」
「ならよかったのじゃ。ほれ、背中を向けるがよい」
そんな感じで幽狐さんにされるがままに一緒にふろに入った。
「なんかお風呂って癒されるはずなのに逆に疲れました……」
げっそりしていると、幽狐さんが顔をのぞかせてきた。
「すまんのう。途中から楽しくなってつい、な」
「『な』じゃないんですよ。まぁ、これで彼女じゃなかったら俺は捕まってましたけどね」
「難儀な世界じゃの」
「本当にですね」
二人夜風を浴びながら星空を眺める。
これから幽狐さんと破天荒なことがたくさん待っているのだろう。
それでも楽しくやっていけたらいいな。
いままでの苦悩なんて忘れるぐらいに楽しんで生きていきたい。
なんか壮大すぎる気もするけどそれぐらいがちょうどいいと感じた。
今日は星が良く見える。
——今この瞬間が、ずっと続けばいいのに。
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