「勇者たち」 ウサ公に関する考察
漫画「勇者たち」の感想です。
たまにはnoteに「単に好きなこと」を書きたくなって、書いてみました。
思い切りネタバレしてるので未読の方はお控え下さい。マンガワンで全8話無料で読めるのでラストまで読んでからまた来て欲しいです。
何度も読み返したくなる作品なので、個人的にはkindleで買うことお勧めします。
世界観とキャラクターが強烈にぶっ飛んでるのですが、その中でも特に想像力を掻き立てるキャラクター・ウサ公について語らせて下さい。
■■■
全編通して異彩を放ちまくってる作品なのですが、特にウサ公の存在に特殊性を感じます。
「勇者たち」はとても考えさせられる作品で、Web上にいくつかの考察サイトが見られますが、ウサ公にフィーチャーして述べているサイトが見つからなかったので、書かせてもらいます。
第5話の違和感
第5話で、スットコビッチ卿が「早く王都に帰らないと体がやばい」アピールをして、ゆめちゃんが「学者様は放っといても死ぬから残りの二人でジャンケンして誰が先に帰るか決めよう」と返すくだりがあります。
ここで気になるのが、ゆめちゃんが「二人」と言い切ってること。
その場には、(スットコビッチを除くと)ゆめちゃん、ややわに、ウサ公の3名いるのに。
いや、ウサ公はいつもゆめちゃんの肩に乗っかってるような存在だから、ここで頭数にカウントされないのは当然ちゃ当然なんですが...。
そして結局3名が森に取り残されることになるわけですが、ここでスットコビッチが「二人ともしばらくの辛抱じゃ!」と、完全にウサ公をカウントしてないのがやはり気になります。
で、さらにその後の展開で、ややわにが自ら暗黒を受け入れる決断をし、ゆめちゃんは一人ぼっちになるかのように描写されますが、「いや、ウサ公いるじゃん... ややわにの決断は泣けるけど、ウサ公も見てあげてよ...」と気になります。
全話通しての、ウサ公の存在感の無さ
どうもウサ公の扱われ方が気になって読み返してみると、全話通してウサ公が誰ともコミュニケーションをとっていないことに気づきます。言葉を発しないキャラなので会話のやりとりが無いのは当たり前なのですが、誰かに声をかけられたり、触れられたり、目線を向けられたりするシーンが一切ない。
ネコUFO、ヤンツンメンも(言葉を発しはするものの)会話シーンはありません。が、記者に泥をつけられたり、遺体を抱きかかえられたりと、なんらか他キャラからの接触があります。
ウサ公だけ、「誰かとやりとりするシーン」が一切無い。
ずっと存在感薄かったウサ公が最終話で衝撃的な振る舞いをする、という演出を狙っただけなのかもしれませんが、どうも引っかかるのです。
もしかして、ウサ公は読者にしか見えていない、他の登場人物からは知覚されていないキャラなのでは... とか。
第2話でのみ、存在が異質
ウサ公の存在が気になってさらに読み返してみると、ほぼ全てのコマはウサ公がいなくても成立することに気づきます。
が、第2話のみ、例外があります。
3ページ目の帰路につくシーンにて、ウサ公がヤンツンメンの遺体の頭部を持っています。全話通して、ウサ公が何かを持っている(物理的に何かに干渉している)シーンはこの一箇所だけです。
また、同じく第2話にて勇者一行が野宿するシーンですが、ゆめちゃんがウサ公を腕に抱いて入眠しています。もしウサ公が「本当は存在していないキャラ」だったのなら、ゆめちゃんの体勢に違和感があります。
このあたりを見ると、ウサ公不在説はただの考えすぎかな... とも思えてきます。
が、これまた同じく第2話にある、クソ出っ歯による写真撮影シーンが非常に意味深です。
キャラクター全員がカメラに向かって「イエーイッ」とポーズをとるシーンで、カメラのファインダーにウサ公が映っていないです。
他のキャラクターは全員、ファインダーに映っています。やばいのですら。(すごい見切れてるけど)
なぜウサ公だけ入っていないのか... やはり存在していないのか...。
物語におけるウサ公の役回り
居なくてもストーリーが成立する存在であるウサ公の、物語における(ラスト以外での)役回りは「主人公ゆめちゃんの心理描写」なのかな、とも思います。
基本的にゆめちゃんの肩に乗っかってるウサ公ですが、ゆめちゃんと同じポージングをしているコマが多く見られます。表情もゆめちゃんとシンクロしてるような。
また、ゆめちゃんの頭につけているリボンの造形がウサギの耳っぽいところから、ウサ公はゆめちゃんをデフォルメした存在のようにも感じます。
ウサ公は、ゆめちゃんの心理描写を絵的に補足・強調・解説する意図で描かれているのかな、と。
その考えを踏まえて、ラストで沈黙するゆめちゃんの心理をウサ公の表情から汲み取るとだいぶ辛い気分になるのですが...。
ウサ公=読者なのかな、とも思う
ウサ公は、物語の最初から最後までを見ていて、物言わず、語りかけられることもなく、白けた展開には冷めた目線を送り、悲しい展開には涙し、主人公のうける酷い仕打ちに対して怒りを発します。
これはすなわち、作中に描きこまれた読者なのかな、とも思います。
(第2話だけ説明つかないのですが、これは物語が序盤につき設定が固まりきってなかったのかな、とか思ったり。)
とどのつまり
と、いろいろ書いてみましたが、とどのつまりウサ公は「いろんな風に解釈・共感できる存在」として構成されているのだと思います。(作者にそのような意図があるのかどうかはわかりませんけどね。)
こういう存在が描き込まれている作品って、読者の想像力次第で作品の価値が果てしなく高まるので、なんというか、大好きです。
冒頭でも述べましたが、たまにはnoteに「単に好きなこと」を書きたくなって、書いてみました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?