人生の決断ができない

俺は今までの人生の岐路において、自らの意思で進路を決定するということを最大限避けてきた。避けてきてしまった。

そもそも、高校へ進学するときですら、“このへんが入れそう”というだけの理由で願書を出し、一切受験勉強することなく、地元では2番目に有名な自称進学校へ入学を決めた。この時から、“まあ落ちても仕方ない、第2志望のところへ行けばいい”と思っていた。

そして、大学選びでは受験勉強は一応したものの、人並みよりかは遥かに短い勉強時間で、センターの持ち点で合格の可能性がある地方国立大学へ願書を出し、なんとかギリギリのところで合格を獲得した。この時も、どうしても受かりたいという意欲は薄く、運命に導かれるところへ行くだけ、という考えだった。

大学では新歓で捕まった、ほとんど興味もなかったボート部へ入部し、なんとなくで4年間を過ごし、就職活動でも自分のやりたいことはわからないまま、唯一内定をもらえた会社に就職することにした。

振り返ると、自分のやりたいという意思が人生選択においてほとんど介在していない。流されるままに生きてきた。やらなければいけないという理由で受験勉強し、やらなければいけないという理由で就職活動をした。

気がついた時には、自分の人生を流れから外すという選択をとることに臆病になっていた。楽しくはなくとも、この一般的なレールを逸脱しないように生きてきたこの人生を、変革するのがこわいのだ。そして、自分の決断で、底辺に落ちることがこわいのだ。

それは、長年死にたいと思っているにも関わらず、死を選択できないことも同じだ。死ぬ決断ができないまま、ずっと意味もなく生き続けるのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?