毎日お腹が痛かった
高校の時の話だ。七年? くらい前の話だ。
どういうわけだか、私は毎日お腹が痛かった。
あさごはんを食べる。お腹が痛い。
まだ体が起きていない気がする。食パンとお弁当のおかずの残りと味噌汁とコーヒー。母も低血圧で、朝に食欲がないのは理解してくれていたので量も多くなかった。
けれども食後、大して膨れてもいない胃はキリキリ痛くて、半分ぐらいゾンビのような足取りで身支度をして、自室で毎日十五分だけアラームを掛けて寝ていた。寝たからって言って楽になるわけじゃなかったけれど、寝ないよりマシだった。
お昼になる。朝ごはんが少ないから一限が終わる頃にはお腹が空いていて、毎日ワクワクしながらお弁当を開いた。
けれど、半分ほど食べた辺りまた胃がキリキリと痛みだす。お米が多い。二段のお弁当の少ない方、お箸を突き刺しても少しも埋まらないくらい薄く詰めただけのお米が、冷たくて固くて噛みしめるのが億劫になる。
友達と喋りながら食べているのも良くなかったのかもしれない。余計な空気まで飲み込んでしまって、大した量でもないのに体の中がすぐにぱんぱんになってしまう。
けれど毎日作ってくれている母の手前、お弁当を残すのは申し訳なくて、まさか捨てるなんてことも出来なくて、毎日必死で飲み込んだ。
美味しかったのにな、と今では思う。
人に作ってもらうご飯って美味しいのに、あの頃は何を食べてもすぐに胃が痛くなって、あんまり、食べるのが楽しくなかった。
空になったお弁当箱をしまって、そのまま昼休みのおしゃべりタイムに入ろうとしている友達に一言断って、図書館に行く。
これも、今では感じが悪かっただろうなと思う。当時はお腹が痛くてそれどころではなかったけれど。
私の通っていた学校の図書館は、校舎から分離した別館になっていた。
それなりに利用者は居たけれどあまりうるさくなくて、人目につきづらくて座り心地の良い椅子がいくつかあった。
その数年前(中学生や小学生の頃)は、小説を読むのが大好きだったのだけど、どうも当時は物語を読む元気がなくて、図説の綺麗な辞典や、写真がたくさんあるレシピ本を眺めていた。
どうにも私は根が食い意地がはっていて、好きなように食べられないというのが物凄くストレスだったのだと思う。写真ならいくら見ていても胃は痛くならない。
この、ブフ・ブルギニョンとかいう料理はどんな味がするんだろう。土手煮みたいな感じだろうか。暖かくして涼しいキッチンで食べたら美味しいんだろうな。こっちの羊のローストとか人類が食べる一番良いところの肉みたいなビジュアルだな。口内炎も何もない口で食べたいな(当時やたらと口内炎が出来た)。
キリキリ痛いお腹を抱えてめくるレシピ本の中には清潔で、正しい分量で、美しく整えられた料理が並んでいた。どんな幻想的な風景写真よりも、心躍る物語よりも、夢のような恋よりも、私は皺一つないテーブルクロスや、皿の跡目の着いた木のテーブル。そこにちょこんと花咲く料理の数々で心やすらいだ。こんな料理なら。静かに温かいこういう一皿なら、私のお腹の中で、正しい栄養になる。そんな風に思った。
家に帰って、夕食を食べる。胃が痛くなる。
食後の片付けを手伝えないと母に謝って、布団に潜る。お腹を抱える。昼間図書館で眺めたあのたくさんの美しい皿のことを考える。
下宿を初めて自炊をするようになって、そんな風に毎食後お腹が痛くなるようなことは無くなった。
多分、食事の時間が良くなかったのだと思う。あと、量を自分でコントロールできるようになったのもとても大きい。
私の体は基本的に朝にものを食べるように出来ていないのだ、多分。その後おもう存分休んでいいならともかく、朝起きてすぐに動かなくてはいけない場面では、私は下手に固形物を食べないほうが良いらしい。これは就職してから気づいた事なので、もっと若かった高校時代や大学時代はそうでもなかったのだろうけど。
昼もそうで、大学以降、昼食を13:00以降に取るようになってから、あの地獄のような腹痛はすっと消えた。
夕飯は言うべくもなく。
要するに、生活リズムが自分でコントロールできないことはこんな不調を引き起こすのだな、ということなのだけれど。
今でも高校時代を思い出そうとすると、痛む胃を抱えて向かった図書館の空気と、めくるレシピ本の分厚い上質紙の手触りが思い出される。
レシピ本を読むのは今でも好きなままだ。
回る寿司を食べに行きます