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ぶれない活動とは何かという話

こんにちは、夜枕ギリーです。ぽんぽこ氏がおすすめしていた「ポッキー 冬のきらめき塩キャラメル」を買ってみたらしっかり美味しかったのでおすすめです。

さて今回の記事では今年の初配信で話した今年の抱負について、自分用のメモも兼ねたテキストにして残しておこうと思います。

↓が配信のアーカイブで、

↓が配信内でお伝えした今年の抱負です 

目を合わせようとしない夜枕氏

『人間を怖がらない』というのは森に住むバケモノの話ではなく、わりとまじめに考えたもので、大きく2つの意味を持っています。

ひとつはコラボ企画でゲストを呼ぶとか、Twitterで自分からリプライを送るとか、チームで仕事をするとか、そういった(主に自発的な)人間との交流にビビらないということです。

コラボ企画などのアイデアがあっても、人と絡むことを想像したり、そのための連絡や準備を考えると得も言われぬ不安が襲い掛かり、人知れずボツにすることがままあります。これは人見知りもそうだし、「ソロ」というポジションが楽すぎて甘えているんですよね。私は決して孤高などではなく、面倒くさがりで負担や責任を増やしたくないだけなのだ……。

ゼロミヤ王子の24時間企画に対する「人脈スゲー!」という声は私の口以外からも聞こえてると思うんですが、人脈もそうだけど、何より人脈に対してビビらない姿勢がかなりすごいことなんですよ。

私の場合は声をかけれそうな相手がいても「忙しいだろうしな」「相手のメリットにならないだろうしな」「断られたら気まずいしな」みたいな理由をつけて避けてしまいがちです。

これは良く言うのであれば気が配れているのかもしれませんが、実際のところはこっちが一方的にそうだと決めつけて、自分から壁を作っているだけです。断られるのを怖がって、体のいい理由で声をかけないという選択をしているんですよね。喜んでOKしてくれる可能性だってあるのに。

そういう自分が傷つかない代わりに何も生まれないような択を取りがちなので、今年は人間を怖がらず、もう少し積極的な姿勢で声を出していきたいなという感じです。オデ、人間ト仲良クナリタイ……。



もうひとつの意味は、視聴者の目や第三者の目を指して、人間を怖がらないという意味です。

昨年から始めた小型二輪の動画なんかがまさにそうなんですけど、今までと経路の違う動画を始めようとした際に、必要以上に周りからどう見られるかを気にしてしまいます。今までの動画が好きな人には興味のない話だよな。VTuberが実写映像を使うのに抵抗がある人もいるよな。それで人が離れていったら嫌だな、と。

そういった(存在するかも分からない)人間の視線を気にせず、やりたいことをやる。これはずっと前から繰り返し言っている目標で、引き続きの意識していくという感じですね。

ちょっと逸れる話かもしれませんが、先日ホラー作家の雨穴さんがマツコ会議に出た回で、雨穴さんが「マツコさんはどうやってブレずに自分を保っているのか」といった質問をされていました。

それに対しマツコさんは「カッコつけたいから」「日和見的に自分を変えるのはダサい」「ブレずにいるのはそう思われたくないという見栄」「それ(ブレないアタシという見栄)がなくなると自分が崩壊する」といった回答をされています。

なるほどな~、カッコつけの見栄がブレない人物像として映ることもあるんだな~なんて思いながら聞いていたんですが、これを自分に当てはめるとどうだろう。

直球で考えると活動内容をコロコロ変えることがブレだと言えそうですが、視聴者の顔色を気にして活動内容を変えないことがブレと考えることもできそうです。

要は自分が自分を保てていると自信が持てていること、それがブレていないということになるんじゃないでしょうか。活動スタイルを変えること自体がブレなのではなく、それに対し後ろめたさがあったり、自信が持てていないことがブレなのかなと。

逆に一つの活動内容をひたすら続けるとか、数字を徹底的に追及した臨機応変な活動も、自分の中に一本通っているものがあればブレではないのかなとも。言葉遊びな気もしますけど、このあたりのことにちょっと気持ちが整理できました。サンキューマッツ。

私はむかしカッコつけることってダサいことだと思っていました。自然体でいるのに、周りから見てカッコいいのが真のカッコよさみたいな考え方です。でも今はカッコつけをやり通している人のことをカッコいいと思うようになりました。(もちろん全部が全部ではないですが……)

レディのためにカッコつけるサンジ、カッコいいよね(何の話?)

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