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主語デカは口に出すと反感を買うけど飲み込むと狂う

こんにちは、夜枕ギリーです。

最近ツイッターのリプ欄で元ツイとぜんぜん関係のない話をする人を見かけることが増えたな~と思っていたら、仕様変更によってTLだけでなくリプ欄でもおすすめのツイートがぶら下がるようになったようです。「もっと見つける」という機能らしい。

バズってるツイートのリプ欄という場所は以前からぜんぜん関係のない話をする人が発生しがちな無法地帯だったし、あらゆる場所でおすすめや広告が表示されるのがツイッターというものだったので気づくのが遅れてしまいました。屋根に大きな穴が開いている家で雨漏りが増えたところで些末なことである。

いやそうでもない。屋根に穴が開いた家にも安寧の場所はある。誰かが言っていたけど、わざわざクリックしてまで開いているリプ欄という特定の話題の場所で、関係のない話を出すというのは最高に空気が読めていない。ユーザーからすればすこぶる印象が悪いし、回遊率を上げる(離脱率を下げる)という目的においてもコスパが低いような気がします。

それでもこういう方向性の施策が止まらないということは、一定の効果があるのだろうか。前に「ダサくて不評なデザインにも意味や目的がある」みたいな話をしたんですが、こういう個人的には改悪としか思えない仕様変更も実はデータに基づいていたり、便利に使うユーザーが大半で拒否反応を示しているのは一部の古のユーザーだけという可能性があります。

だから文句を言うなという話ではないし、おかしいと思うことに不満の声を挙げるのは別に構わないと思うんですけど、やはり日常において無意識に「自分の感覚は正しい(多数派である)」という思い込みは起こりやすい。現に私はツイッターのおすすめ表示には全ユーザーがキレてると思っていました。主語をデカくして意見を言うのは嫌われるけど、自分の心の中だけで主語をデカくしてしまうのもそれはそれで危険。

そんなタイミングでツイッターとnoteで「知らん間に自分が/他人が狂う」という話題を立て続けに見ました。内容は同一意見や同一属性の集まるエコーチェンバーに属したり、自分の意見を参考に自分の意見を発展させていくといった、修正の効かないループに陥いると人は狂っちゃうかもねみたいな話。そして誰しもそういう可能性は持っている。

狂いの気づきポイントとして、不満や怒りというのはひとつのセンサーとして優秀に働くかもしれません。これはおかしい、これは許されないと感じたときに、他者の反応を幅広く観察することでその不満や怒りが真っ当なものなのか確認し、自分の価値観が狂っていないかある程度判断できそうな気がします。

まあその参考にする他者の反応というのが学校や会社といった色んな属性の人が集まる場所のものではなく、自らの意図やアルゴリズムで集められた同一属性の人たちによるものだったりするのがSNSなんですけどね(エコーチェンバー)(ふりだしに戻る)。

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