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AIが作るおすすめは脳が喜ぶけど刺激ばかりが優先されているので主食には向いてない気がする

こんにちは、夜枕ギリーです。今日はちょっと身の周りがドッタンバッタン大騒ぎなので短めです。ところでけものフレンズのアニメって6年前らしいですね(2017年1月~3月放送)。

は?????


これ見ての通り私のツイートなんですけど、言ってることのニュアンスは伝わるでしょうか。乱暴に例えると「確かにケーキを出されて喜んだが、毎食ケーキを出せとは言っていない」という感じ。

①フォローは自分の興味や好意を基準に行う
②「いいね」は興味や好意が表出したものである
③「いいね」をソースに構築したおすすめは理想のTLである

仮に私がツイッター社の職員で、ユーザーが喜ぶにはどうすればいいか、離脱を減らすにはどうすればいいかという課題を与えられたときに、この理論には陥ってしまうような気がします。

ユーザーの反乱が始まったら「ば、バカな!私のデータによれば貴様らの幸福値は最大のはず!!反発するはずがない!!」と狼狽えるしメガネは割れるしノートパソコンから煙が出る。

実際はフォローって「いいね」に直結するような興味だけからするものじゃないし、ツイートは普通だけど人間性にうっすら好意があるとか、永遠につまんねーダジャレを言ってるとか、アイコンが可愛いとか、「いいね」には至らない多様な感情から各々にとって心地よいTLが構築されるのだと思います。

それこそ大昔の石器時代のTwitterは何者でもない一般学生の「大学なう」みたいな無意味な呟きたちから作られていたわけで、そのあたりのDNAが引き継がれているのかもしれない。

逆にtiktokとかYouTubeのショートなんかはさっきの単純な理論がバリバリに効果を発揮している感じがします。ひたすらに脳が喜ぶ動画を垂れ流している感じがするし、うっかりしてると永遠に見てしまう。ただそれも漠然とした「頭が悪くなっていく感じ」みたいなものがあって不安になるんですよね……。

登録チャンネルや視聴履歴で構成されているYouTubeのフィードは、TwitterのメインTLほど「自分の聖域」という感覚が薄いので、おせっかいなおすすめが介入してきても個人的にはあまり気にならない。ということは慣れやスタート地点の違い?わからん。

最初の方で主食とケーキみたいな例えをしたけど、もっと高い視点から観測するとTwitterが主食で、YouTubeはケーキなのかもしれない。


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